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「感覚過敏」でまともに育児ができなくなった母親の慟哭

育てられない母親たち【20】
ノンフィクション作家の石井光太さんが、「ワケあり」の母親たちを密着取材していく本連載。彼女たちが「我が子を育てられない」事情とは?
 
石井光太さん記事バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/kotaishi

発達障害に「感覚過敏」という特徴があることをご存知だろうか。

たとえば、カフェにいる時、私たちは店内に流れるBGMを大して気にすることなく本を読んだり、友人と会話をすることができる。だが、発達障害のある人たちの一部は、BGMを大音量で聞かされる雑音のように感じて、読書や会話どころか、店内に留まることさえできなくなってしまうのだ。

嗅覚においても同じだ。旅館の朝食時に、隣のテーブルの人たちが納豆を食べていても、大方の人は何とも思わないだろう。せいぜい、納豆くさいな、と感じる程度である。だが、彼らにとっては、すさまじい腐臭を巻き散らかされたように感じて、そこにいることができなくなる。

発達障害の人たちが、こういう感覚をきちんと説明し、周囲に理解を求めれば、大きな問題にはならない。だが、発達障害の人たちの多くは、他人に対して自分の状況を説明することを得意としていない。むしろ、苦手なのだ。

それゆえ、彼らは自分の中だけで問題を解決しようと、一般的には思いつかない行動を取ることがある。それが育児困難という形で現れた、二つのケースを見てみたい。

 

多動だが成績優秀

谷村希子(仮名)は、多動的な言動が目立つ子だった。幼少期から勝手にどこかへ行ってしまったり、ずっと自分の話ばかりしたりして、周囲から冷たい目で見られることが多かった。そのせいで、小学校時代からは、度々いじめに会っていた。

ただ、彼女は成績が優秀で、クラスでも常に上位にいたため、教諭から気に入られていた。高校は進学校へ進み、有名大学にまでいった。

大学卒業後、彼女は地元の金融関係の仕事に就いた。だが、生来の多動的な言動のせいで、上司や同僚と頻繁にぶつかり、わずか1年半で転職。次に勤めた企業も1年しかもたず、資格を取って公務員に。しかし、そこも2年で退職することになった。

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彼女は言う。

「私が自分で発達障害と気づいたのは、20代半ばでした。その頃まで人間関係がうまくいかなくて、生きづらさを感じていましたが、なぜなのかはわからなかった。ただ、うまくいかない、苦しい、という気持ちだったんです。うつ病にも何度かなって、精神科を受診して発達障害がわかったんです」

20代の終わり、希子はうつ病で1年間の療養をした後、当時付き合っていた恋人と結婚をした。主婦になって家庭に入るつもりだった。

だが、出産1週間後にバイクにはねられてから、事態が急変する。退院後に育児をはじめたところ、それが想像を絶するほど難ししことに気づいたのだ。

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