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人口・少子高齢化 週刊現代

『極上の孤独』が売れる理由~「孤独」は害をもたらすものではなかった

下重暁子さんにインタビュー

「日本はなぜ家族を美化するのか」という視点で描いたエッセイが話題を呼んだ、『家族という病』から3年、新作『極上の孤独』を上梓した作家の下重暁子さん。

日本ではネガティブな意味にとらえられがちな「孤独」は、人にとって淋しく、辛いものなのか? 孤独は人間にどういった機能を果たすのか? などについて、下重さんならではの豊かな切り口で開いていきます。

「みんな一緒」のほうが怖い

―日本人が「家族」に抱く幻想を看破した前著『家族という病』が世間から大きな支持を受けた下重さん。今回はなぜ「孤独」という題材を選んだのでしょう。

小学生のときに結核にかかり、友達と離れてずっとひとりで寝ていなければならなかった私にとって、「孤独」は終生のテーマなのです。

そもそも『家族という病』の根底にあったのも、家族だってみんな「個」じゃないか、完全に理解し合えるなんて思い込みに過ぎない、という問題意識でした。

よく「孤独な高齢者は長生きできない」などといわれますが、果たして本当にそうなのか。もういちど「孤独」とはなにか考え直してみませんか、という提案をしたかったのです。

―確かに、「孤立」、「孤食」、「孤独死」といった言葉もあるように、日本では「孤独」に対するイメージは決して良くありません。

昔から日本人は「和を尊ぶ」というけど、「周りの人と同じであること」を和だと考えている人が多すぎます。だから、群れを離れると不安になってしまうし、大多数と違う行動をとる人がいると、「排除」しようとする。

子どもたちのいじめにしたって、根底にあるのは排除の論理でしょう。でも、みんなが同じ考え方になるのは、一番怖いことです。

 

本当は、互いに違いを認めあったうえで、違いを許容して生きていかなければならないのです。そのためには、まず自分を確立しなければ始まらない。自分がわからなければ、人との違いもわかりませんから。

そして、自分を知るために欠かせないことこそ、孤独のなかで自分と対話を重ねることなのです。

―下重さんは「孤独」と「淋しさ」を安易に結びつける風潮に、真っ向から異を唱えています。

そもそも、「淋しさ」と「孤独」は似て非なるものです。淋しさとは、感傷です。どこかに「誰かに解消してもらおう」という甘えが潜んでいる。

対して、孤独というのは、他人に頼るのではなく、自分とじっと対話すること。淋しさを突き抜けた先に、自分で答えを探していく営みこそが、孤独なのです。

「孤独な老後」なんてマイナスな言い方ばかりされるけれど、本当に悲惨なのは、「孤独になることからいつまでも逃げ続ける人生」を送ることでしょう。

尻ごみせずどんどん挑戦すればよい

―第4章のタイトルにもなっている「孤独と品性は切り離せない」という言葉には鮮烈なインパクトがありました。

孤独と品性ということで、私が真っ先に思い出すのは「最後の瞽女」と呼ばれた小林ハル(1900-2005)さんです。瞽女というのは目の見えない女の旅芸人のこと。

ハルさんは筆舌に尽くせないような壮絶な人生を送った人ですが、私が初めてお会いしたときに、いままで見たことのない凛とした気品を漂わせていたのです。

ハルさんには、本当の孤独を知った人にしか持ちえない突き抜けた明るさがあって、目が見えなくても、針仕事も料理も何でもひとりでできてしまう。自分自身を見つめることから生まれた内面の美しさが、自然とにじみ出ていたのです。

「いい人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修業」と口癖のように言っていましたが、ハルさんは自分の人生そのものを修業と捉えていたのでしょう。

品性とは育ちや環境によってではなく、自分自身と対話を重ねてきたかどうかによって決まる。ハルさんが背中で教えてくださったことです。