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野球 ライフ

2011年ドラフト会議で最後に指名された選手の「天国と地獄」

序章"嫌がらせのドラフト"と呼ばれて③

2013年に発売されベイスターズファンのみならずすべてのプロ野球ファンの胸を打った野球ノンフィクションの金字塔『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』。同作品のスピンオフ連載として始まった「2011年のナイン」、待望の連載第3回。それは暗黒時代、史上最弱と呼ばれ、身売り、本拠地移転、球団解散などが噂されたあの秋。どん底の中に生み落とされた高校生たちの7年間の物語――。

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ファンの人に生きる力を与えたい

地元の名門・横浜高校の乙坂・ルーセロ・智・ニコラス外野手は、横浜ベイスターズからの指名を“単騎待ち”の気構えで待ち望んでいた。

ベイスターズには2学年上の敬愛する筒香嘉智ほか、荒波翔、石川雄洋など、多くの出身選手が所属していたこともある。だが、それ以上に横浜で生まれ育った乙坂自身が、小学生の頃からの熱心な横浜ファンであることが大きかった。

横浜高校の乙坂智外野手(写真:野球太郎)

米国人の父と日本人の母のハーフでありモデル風のルックスを持ちながら、胸に抱くは初志を貫く鉄の意志。そして大和魂があった。

地元の中本牧シニアから親の反対を押し切って横浜高校へ進学。闘志を前面に出すプレーで2年生からレギュラーを掴むと、甲子園出場を果たした。その一方で高校時代に「バットを持ってきて」と頼まれるだけで感激していたほど大尊敬する筒香を見に度々スタジアムにも訪れていたが、その度にスタンドでお客さんから『ベイスターズに入ってよ』と声を掛けられることも珍しくなかった。

その度にベイスターズに対する乙坂の熱情は日に日に大きくなり、進路決定の際には、大学進学を勧める周囲の説得に対し、家出をしてまで自身の主張を貫き納得してもらった経緯がある。「自分が入って低迷するベイスターズを強くしたい」。横浜スタジアムでの最終戦も観戦し、このドラフトを迎えていた乙坂は、横浜ベイスターズから自分の名前が呼ばれることだけを望んだ。

 

野球部の部室で、同期の近藤健介(北海道日本ハム4位)らとドラフト会議を見守っていた乙坂は、その夢が叶った瞬間、大きくガッツポーズを作るとはちきれんばかりの笑顔で「うれしい、本当にうれしいっす」とよろこびを爆発させる。

「スタジアムには小さなころから通っていました。街を歩いていても地域の方が声を掛けてくれる。そんな人たちにプロとして、地元横浜に恩返しをしたい。ファンの人に勇気とか生きる力を与えるような選手になりたいです」

会見で抑えきれない横浜愛を語った乙坂は、ベイスターズの選手になれるよろこびと同時に、応援してくれる人たちのために自分のプレーで恩返しをすることを強く心に誓っていた。

続く6位には乙坂と同じハーフの長身投手が名前を呼ばれた。

「名前が出た時は、何が起こったかわからなくて、皆に胴上げされて名前を呼ばれたんだなと気づきました。指名後も『夢じゃないか』と思っていました」

ベイスターズがキャンプを張る沖縄県宜野湾市出身。浦添商業の長身右腕、佐村トラヴィス幹久投手は、小学校6年生から野球をはじめ、投手になったのは中学3年生からと野球歴自体が浅く、しかも小・中では補欠のまま終わったという異色の投手だった。

そんなトラヴィスが高校の3年間でプロから指名を受けるまでに成長した夢物語は、実感が沸くまで1週間の時間が必要だったというのも無理はない。未完成で粗削りなフォームと右肘痛に悩まされながらも最速144キロを出した潜在能力と191㎝からまだ伸び続けているという身長は将来性を十分に感じさせる逸材だった。