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中国

習近平の独裁強化は中国史的にみれば「終わりの始まり」だ

彼の国が「強大な力」を求め続ける理由
「中国」というシステムの本質は何なのか。近代国家というモノサシで測ろうとするから、不可解な存在になってしまうのだ。そのことを痛快に明かす必読書を紹介しよう。中国を知りたければ、まずこの2冊からどうぞ。

(*前稿はこちら gendai.ismedia.jp/articles/-/55586

中国は中国の論理でしか動かない

中国という存在を考える新書を紹介している。

前稿では高島俊男『中国の大盗賊・完全版』をその一冊として紹介した。

重複するがもう一度まとめておく。

中国の王朝は暴力的に倒され、交代する。

いまの“中国共産党の王朝”も、前王朝を力で倒し、皇帝(的存在)を置き、支配している。劉邦の漢、朱元璋の明、ホンタイジの清とその成り立ちは変わらない。

だから、現王朝(中華人民共和国)は、次の力ある者に倒される予定である。彼らが本当に恐れているのは、その見えざる存在である。なぜならかつて自分たちがそうだったから。

中国は中国の論理でしか動かない。だから彼の国の政体は、彼らの歴史から見直したほうがわかりやすい。

これがその新書の指摘である(一部、わたしの意見も加えてある)。

おそらくとても広大なエリアを無理にひとつの国にしようとするから、いろんな問題が出ているようにおもう。

中華人民共和国は多民族国家である。漢民族が多数ではあるが、漢民族だけの国ではない。

もともと大国であり、いまも大国であるこの国は、いつも周辺を取り込もうとするし、その外縁にも大きな影響を与えようとする。つねに東アジア世界の中心であった。

 

中国は「世界そのもの」だった

これを中国から見るとどうなるのか。

高島俊男『中国の大盗賊・完全版』にはこうある。

「中国は古い、独特の国であるから、国土とか領域に関する観念も近代国家とはだいぶちがう所がある。ハッキリした国境があって、その内側はすべて同質に「我が国」というふうにはなってない。

昔から、中央部はまちがいなく正真正銘の中国で、周辺部へ行くにしたがって少しづつ色が薄くなり、おしまいは漠然としてきて、朝鮮、モンゴル、新疆、チベット、ヴェトナムあたりになると、勢力範囲のようでもあり外国のようでもあり、はっきりしないという感じであった」(pp.292-293)

それが中国の支配者(つまり中華帝国の皇帝)の感覚なのだろう。

これは毛沢東の生涯に触れている途中での解説である。

中国共産党が中華ソヴィエトを打ち立てたころ(つまり時の政権と関係なく勝手に国内に別の国を作っていたころ)、日本軍も中国の東北エリア、いわゆる満洲地区を完全にわがものとして、満洲帝国を(これも勝手に)建国していた。満洲地区は、中国の“関外”にある。

「関外の地というのは中央部にくらべるとやや色が薄い所で、そこを日本に取られても中央部の一般の人たちにとっては遠い所の話のような感覚だが、山海関を越えて入ってくるとなると、これは由々しき一大事なのである」(p.293)

日本軍は1930年代の後半になって、山海関を越えて、中国本土を狙う動きを見せる。それに対して国民党は、毛沢東一派の掃討戦を中止して共闘し、日本軍と立ち向かうことになる。

毛沢東一派は、当時はまだ単独で国民党政権を圧倒できる武力を持っていなかったが、日本軍が侵攻してきたことにより、いったん国民党と共闘し、のち疲弊した国民党政権を打倒することができた。

中国は、かつて「世界そのもの」だった。

まだ世界がそれぞれのエリアで分かれて存在していたころ、つまり古代世界では、東アジアエリアでは、中国が世界そのものだった。宇宙の中心だったと言ってもいいだろう。

中国中央部を支配し、隣接エリアも支配し、それよりも少し離れたエリアには(日本はこのへんに入る)、このへんで一番えらいのは中華帝国(その皇帝)であると認めさせていた。まあ、広大で壮大なヤクザの親分って感じですな。

冊封というシステムが、かなりヤクザぽいですからね。

宇宙の頂点だから、あらゆる民族を支配している。それが中華の皇帝である。帝国内にはいろんな民族がいることになる。