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文学

直木賞作家が会社員だった頃 〜没にされまくった原稿が世に出るまで

元同僚が明かす作家誕生の舞台裏
白石一文と言えば、『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞を、『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞した押しも押されぬ大作家。その白石の書いた24作目の作品『光のない海』の文庫には、白石の文藝春秋の編集者時代、同僚だった下山進が解説を書いている。パニック障害をおこし社の業務を全て放り投げて、故郷にひきこもった白石一文の原稿はいかにして世に出たか? 解説を全文掲載する。

スーパー編集者の「秘密」

私が1992年に月刊文藝春秋の編集部に異動してきた時に、ひときわめだつ編集者として在籍していたのが白石さんだった。

まずこの人は、圧倒的に原稿が読めた。私がまとめた原稿について、「ここが優れている」と指摘してくれる点が、実にツボをついていた。

作家や政治家、新聞記者など文藝春秋で原稿を書こうとしている人たちの間で、白石一文信奉者が多いのもむべなるかな、と思った。作家は、自分の原稿をよく読めている人を一番信頼する。

そして白石さんは、社内政治についても、感覚ゼロの私にとっては信じられないくらい精緻に考えている人だった。私がぼんやりと「先輩」としか認識していない人たちのことも、入社年次が何年で、そうなると、どの時期に編集長になる年齢に差しかかるか、人事権のある立場に昇格するのか、そうしたことを複雑なパズルを解きあかすようにして解説してくれたりした。

そんなスーパー編集者の白石さんに、秘密があると知ったのは、いつだったか。

ノンフィクションの世界でばりばりに幅をきかせ、将来の社長候補と目されている人が、「小説」を書いているという。

読みたい。

白石さんに聞いてもそのペンネームを教えてはくれないので、どうにかこうにか探し出し、名古屋の出版社から出ているその本を手にとって読んでみた。

が、これが面白くなかった。

 

あえて付言するなら作中で本郷が語る大蔵官僚への批判は、私にとって真実である。私は現在ある総合月刊誌の編集部にいるのだが、取材を度重ねてみて、この国の高級官僚たちの無責任ぶりに相当にうんざりしている

こんな気負った一文があとがきにあるこの本は、日本経済新聞とおぼしき新聞にいる記者が大活躍するのが、後輩の視点から描かれている。しかし、そこに描かれている世界が、そのまま白石さんが会社でやっている精緻な社内ゲームの精神構造そのままのように読めた。

こんなふうに枠の中におさまった「正義」など吹けば飛ぶようなもので、この人は本当に小説を書きたいのだったらば、そうした出世志向の「常識」は一度捨てないと、面白い小説は書けないのではないか、そう思った。

で、まだ若かりし私は、そのことを、ホテルニューオータニのバーで当の白石さん本人に言ってしまったのだった。

それまで、余裕の態で社内の権力構造について解説していた白石さんの顔が、はっとした顔になり、あきらかにショックをうけている感じだった。沈黙のあと、白石さんはこう言ったのだ。

「そうだよな」

処女作原稿はボツの嵐

それから4年の月日が流れる。

会社も家庭も目一杯引き受け、首が回らなくなった白石さんは、パニック障害を起こし、社の業務も全て放り投げ、そのまま郷里である福岡に単身引き上げてしまった。

1年に近い休職のあと復職したが、配属先は「資料室」。

かつての飛ぶ鳥を落とす勢いの「エリート編集者」が嘘のような日々を過ごしていた。寒々とした年末の資料室で惚けたようにしている白石さんに「これからどうするのか?」と聞いた。

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