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不正・事件・犯罪

ついに最終決戦…麻原逮捕「Xデー」名もなき検事たちの死闘

傍流検事~麻原逮捕までの57日

「あの人に、こんな大事件の指揮ができるのか?」。検察官たちも初めは、そう囁いた。地下鉄サリン事件で日本が騒然とする中、オウム真理教の闇に切り込んだ検察官たち。その指揮官に抜擢された、"傍流検事"・甲斐中辰夫氏の知られざる死闘を、検察・公安警察の取材を重ねてきた報道記者の竹内明氏が描き出す、特別連載最終回。

(※第1回はこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55167

立て続けに得られた「自白」

<私がサリン散布を実行するために、サリンの入った袋を持って地下鉄に乗り、床において傘で刺した>

1995年5月7日、中井国緒検事が取り調べで得た、オウム真理教治療省大臣・林郁夫の衝撃の自白の後も、信者らの自白が相次いだ。捜査を指揮した公安検事甲斐中辰夫・東京地検次席検事が、自白重視を徹底する姿勢を貫いてきた成果があらわれはじめたのだ。

 

驚くべき粘り腰で、もっとも難攻不落とされた被疑者を「割った」のが、特捜部から応援に来ていた稲川龍也検事(35期)だった。彼が調べたのは教団自治大臣・新實智光(4月12日逮捕)、非合法活動の中心人物だった。

「これも修行だと思っています。黙秘します」

新實は取調室の椅子の上であぐらを組み、瞑想に入った。教祖・麻原彰晃こと松本智津夫のためなら死んでも構わないという忠誠心、教祖が不利な立場に追い込まれる質問に答えるわけがない。稲川は一方的に語り続けた。

ある日、取り調べを終えて東京地検に報告に来た稲川は、

「何をしゃべっていいかわからなくなった」

と、つぶやいたという。

「稲川が思い詰めているようだ」

仲間の検事たちが、稲川の落ち込みぶりを心配した。

特捜検事は、カンモク(完全黙秘)の被疑者を調べることは少ない。特捜の調べでは、政治家や企業のトップなど社会的な地位の高い者が主な相手となる。しかも被疑者と犯罪行為の結びつきが明確なところから取り調べが始まる。金銭を渡した目的など、本人の認識を詰めてゆく作業が中心となるのだ。

だが、このオウム事件は、誰がどのような犯罪に関わったのかまったく不明で、新たな犯罪を告白させなければ真相解明はできない。

稲川は麻原の説法など大量の書籍を読み込み、その知識は教団幹部の新實に匹敵するものとなっていた。次席検事室に取り調べの方向性を相談に来るたびに、稲川の宗教観が確立され、オウムの思想の源流にまで到達していると感じ、甲斐中もその熱心さに舌を巻いた。

稲川は黙秘する新實と向き合い続け、時には宗教論を闘わせた。ついに信頼関係を築きあげ、自供を引き出した。

一方、オウムの化学者・土谷正実(4月26日逮捕)から自供を引き出したのが、特捜部から応援に来ていた大坪弘道という検事だった。

大坪は黙秘を続ける土谷から「第7サティアン裏の研究棟でサリンを製造した」という核心となる自供を引き出した。テロ容疑の根幹が固まったことで、捜査は大きく展開した。

当初、取り調べが難航した大坪は、次席検事だった甲斐中の元に連日通い、教えを請うた。甲斐中も情熱的な後輩検事を高く評価し、

「特捜の調べは忘れろ。彼らの教義を頭に叩き込んで、心を解きほぐせ」

と、宗教的思想に支えられた「確信犯」の取り調べの理論を懇々と説いた。

オウムとの闘いのさなか、大坪がふと、こんな質問を甲斐中にぶつけた。

「甲斐中次席は捜査の過程で、部下が問題を起こしたら、上司として責任を取るおつもりですか?」

甲斐中は唐突な質問に、こう返した。

「当たり前だよ。検事たちが頑張って、いい事件やってくれたんだ。俺は良い夢を見させてもらったと、今の立場なんてきっぱりと諦めるよ。それが指揮官ってもんだ」

15年後、大阪地検特捜部長になった大坪は、部下の証拠改竄事件に絡んで、犯人隠避容疑で逮捕されることになる。