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ライフ 週刊現代

「天才」と呼ばれたアスリートたちのその後の人生

受付嬢になっていた「ポスト浅田真央」

巡り巡って芸人に

長野県を中心にモノマネタレント、ラジオDJ、歌手として活動している松山三四六さん(本名・秦光秀、47歳)は、中学時代は相撲で若乃花(現・花田虎上)に圧勝し、柔道では吉田秀彦に「アイツには勝てない」と言わしめた天才アスリートだった。本人がこう語る。

「小学時代は柔道では2回全国大会で優勝しました。わんぱく相撲にも出場して全国大会を連覇。同級生に後の若乃花がいたんですが、準々決勝で3秒ぐらいで倒しましたよ。

その若乃花と同じ明大中野中学に入学して、僕は柔道部でしたが、相撲部の助っ人によく駆り出されました。そこでも若乃花に負けたことはありません。中学に入ったころは今より30kg近く太っていて、166cmで90kgを超えていました。

柔道では中学3年のときには全国大会で、後に世界選手権王者となる中村佳央を決勝戦で倒して78kg級で優勝しました。そのころの夢は、オリンピックに出場し、世界チャンピオンになること。当時、1学年上だった吉田秀彦さんも、『こんな奴に勝てるわけがない』と言ってくれたんですよね」

高校時代は国体で優勝したが、右ひざの半月板を負傷。その影響で大学時代に念願だった世界選手権出場を逃し、柔道を断念した。

「夢が叶わないことを知った瞬間が、柔道をやめると決めた時でした。その後、選んだのが学校の先生になること。夢を諦めても幸せに生きていけるということを伝えたかった。

ところが、社会科の教員免許を取ったものの、内定がとれたのは女子校の1つだけ。『スクール・ウォーズ』みたいな先生を目指していたから、迷いました。そのとき吉本興業から、東京NSCの第1期生を募集するDMが届きました。それで『人生、博奕や』と芸人の道を選んだんです」

 

ストライカーが大工に

だが、芸人としてのセンスの無さにも気づかされた。紆余曲折を経て、松山千春のコンサートにて飛び入りで歌を披露したことがきっかけで、ラジオのDJとなった。

さらに長野県でのラジオ番組出演を皮切りに、現地での仕事がどんどん増えていったという。

「7年ほど前から長野大学の客員教授をやっていますし、道場で柔道も教えています。選手として僕は努力が足りなかった。なぜそれに気が付いたかというと、子どもたちを教えるようになったから。

僕は天才だったから、『なんで、こんなことができないの?』とつい言っちゃうんですよ。それで指導法を必死に勉強するようになって。僕は『できないから面白い』という探求心を、若いときに持つことができませんでしたから。

僕の息子も柔道をやっていますが、夢破れた後も、十分に充実した生活を送れる人間力の土台をいま築いておかなくてはいけないよ、と口を酸っぱくして言っています」

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