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学校・教育 遺伝

「人生は遺伝に縛られている」という残酷な現実は悲観すべき事なのか

拒絶する人に伝えたいこと

遺伝に縛られた私たちの運命

「人間のこころの働き(能力や性格など)にも遺伝の影響がある」という行動遺伝学のメッセージを、毛虫のごとく嫌う人が少なくない。

このメッセージが科学的に立証されていることは、すでにこのサイトで述べた。またそれに対する反論に対しても、再反論させていただいた。

それでもなお「人間のこころの働きに遺伝の影響があるなんて、いやだ」「そんなの認めたくない」という拒否反応を持つ人がいる。

「遺伝的に能力がない」「性格が悪いのは生まれつき」と言われて、いったい何の明るい未来や希望のある人生が思い描けるというのだ。

遺伝に縛られた運命なんぞ、クソ食らえ!それよりも「環境が変われば変わる」「努力次第で変えられる」と信じて生きていくぞ!!

ここではそういう人たちに対して、「人間のこころの働きにも遺伝の影響がある」という事実が、決して悲観的なことではなく、むしろ私たちの社会と一人ひとりの人生にとって重要な意味があり、明るい未来も描ける可能性があることをお話したい。

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「遺伝か環境か」ではない

それは二つのポイントに要約できる。

ひとつは「社会は膨大な遺伝的多様性から成り立っている」ということ、もうひとつは「一人ひとりは環境によってブレることのない確固とした遺伝的アイデンティティーをもって一生を生きている」ということである。

確認させていただくが、行動遺伝学のメッセージは「こころの働きは遺伝だけで決まっている」というのではない。それは「環境だけでなく遺伝も無視できない」といっている。

「遺伝か環境か」の対立は、実際は「遺伝と環境の両方か、環境だけか」の対立である。

 

ずるい、といわれるかもしれないが、行動遺伝学のメッセージの中には、それを嫌う人々が言ってほしいと思っているであろう「環境によって変わる」「努力次第で変えられる」も、もともと入っているのである。

それでも心に引っ掛かりがあるとすれば、そこに入ってくる「遺伝」への処し方がわからないからだろう。その気持ちは理解できる。

何しろ「遺伝」という言葉には、かなり強い運命的束縛感が伴っているからだ。

自分ではどうすることもできない、それに強く縛られ逃れたくとも逃れられない。獰猛な動物の目に捉えられて絶体絶命の感じである。