Photo by iStock
AI ロボット

「人口知能は人よりも賢い」ブームがAI研究者を困惑させている

2045年のシンギュラリティを前に…

ビジネス・オンリーの猛進は危険

「今のAI(人工知能)騒ぎって、ほんとにひどいや。囲碁の名人に勝ったからって、それが何になるんだよ。ただの高速ゲームマシンじゃないか。AIに社会的判断を丸投げするなんて、正気の沙汰じゃないぜ」――夜はとっぷり更けていくが、アルコールも手伝って旧友の気炎はあがるばかり。

周りの客は「時代遅れなやつ」と言わんばかりの冷たい視線をちらちら投げかけてくるが、いっこうに動じない。それもそのはず、この旧友は四十年近く前から自動翻訳をはじめAIの研究開発に関わってきた専門家なのである。

さっきから彼の主張は同じことの繰り返しだ。

曰く、最近のヒト型ロボットは確かに利口そうで、流暢に日本語をしゃべる。音声の認識や合成の技術はめっきり上がった。だが、しゃべる言葉の意味はまったく理解していないから、複雑な会話になるともうお手上げだ。

コンピュータによる言語処理は甘いものではない。それなのに、なぜマスコミは、「人間より賢いAI」だの「感情をもつロボット」だのと、軽々しく宣伝するのか……。

私は心中、大いに旧友に共感する。『AI―人工知能のコンセプト』(講談社現代新書)という本を書き、そこでコンピュータの思考力の可能性と限界を語ったのは1980年代のことだった。

近年、音声や画像のパターン分類技術が進歩してブームが再燃したが、残念ながら本質的な難問は何も解決されていない。その意味では、「AI万能論なんて幻想だ」という指摘はまったく正しい。

だが一方で、AIを経済成長の柱にしようという社会の期待も私にはよくわかる。何しろ、インターネット内のビッグデータはあまりに膨大なので、処理するにはコンピュータを駆使する他ないのである。過大評価は禁物だが、AI最新技術の上手な利用がわれわれの死活問題であることも確かだ。

 

ところで、旧友を怒らせた第一の原因はシンギュラリティ(技術的特異点)仮説である。約三十年後に人間をしのぐ超知性的機械が出現するとか、脳の中身をそっくりコンピュータに移し込めば人間が不死になるとかいう、あの仮説のことだ。

常識にしたがえばいかがわしいトンデモ話としか思えないのだが、これがAIブームに火をつけたこともまた事実である。実際、もし人間のかわりに機械が的確に決定し、敏速に仕事をしてくれれば便利千万だろう。

それに噂では、シンギュラリティ仮説をとなえる欧米の方々はめっぽう頭が良いらしい。となれば、この国の産官学がこぞってAIになびくのも無理はない……かな?

だが、ここで立ち止まってみようではないか。

もしかしたら、われわれは妙な神話を信じ込まされているだけかもしれない。そして、そんな自分の愚かな姿にすら、気づいていないのかもしれない。ならばビジネス・オンリーの猪突猛進は危険すぎる。