天才アインシュタインの「脳」の秘密がわかった!

グリア細胞が突出して多かった
R・ダグラス・フィールズ

意外な解析結果

ダイアモンドは同僚とともに、それらのサンプルの細胞構造を調べる準備に取りかかった。そのためには、脳組織を細胞の直径よりも薄くスライスし、染料で着色しなくてはならない。そうすると、その組織を形成している細胞の集合体の中で、個々のニューロンをつぶさに見分けられるようになるのだ。スライスされた切片は、15枚重ね合わせても人間の毛髪ほどの厚みにしかならない。

ダイアモンドの前には、鮮やかな色の溶液で満たされたガラス皿が並んでいた。深紫色からキラキラと輝くピンク色までの色彩を帯びた溶液は、水の表面に拡がる油膜のように、光の加減によっては緑色にも見えた。ダイアモンドは準備された組織切片を取り揃えると、絵画用の細い筆を使って、切片を一枚ずつ染色液の入った小さなガラス皿に移した。

翌日、彼女がそれらの切片を顕微鏡で観察しているとき、形のない霧の中に影が浮かび上がった。降下する飛行機が雲を抜けて、窓外に街の全景が飛び込んでくるときのように、突如として、ひとつの像が細部まで鮮明に姿を現したのだった。

 

彼女が見ていた細胞は、アルベルト・アインシュタインの大脳皮質の一部分から採取したニューロンだった。ひょっとすると、これこそが光線に乗っているところを想像していたニューロンかもしれない。このニューロンは、アインシュタインの大脳皮質の別の部位にある普通のニューロンとどこが違うのだろう? たとえば、指に指令を送って、この想像を現実の世界で具体的に表現する数学の記号を紙に書き記させていたニューロンとはどう違うのか? 

また、目の前の謎めいた至宝をじっと眺めているこのとき、精神の回路を通してイメージや思考を想起させている彼女の大脳皮質の同じ部位にあるニューロンと、このニューロンにはどんな共通点があるのだろう? このきわめて小さな細胞が、世界を劇的に変えることができたのはなぜなのか? このニューロンは、アイザック・ニュートンの同じ脳部位のニューロンと比べてどうなのか? 

科学と技術は無数の小さなステップの積み重ねによって進歩する。だがときに、科学の進展は発想の大転換によって飛躍的に前進することもある。太陽系に関するコペルニクスの地動説、重力と運動に関するニュートンの法則、ダーウィンによる種の進化論、アインシュタインの相対性理論などがこれにあたる。

このような画期的飛躍は、両手の指で数え上げられるほどしか存在しないが、目の前のニューロンはまさに、そうした進歩で世界を変えた人物のひとりから採取したものだった。

何日にもわたって丹念に細胞の大きさや数を計測したのち、ダイアモンドはデータを集計して、47歳から80歳の男性から採取した一一の脳の同一部位から成る対照群のデータと比較した。だがそこには、何ひとつ差異は見られなかった。

図2 大脳皮質の典型的なニューロン
 

群を抜いて多かったグリア細胞

天才の脳のニューロンも、ごく普通の人の脳から採取したニューロンと見分けがつかなかった。さらに、アインシュタインの独創性に富んだ大脳皮質にあるニューロンの数も、平均すると、非凡な創造力で知られているわけではない人たちと変わりなかった。

しかし、データにはひとつだけ違いがあった。ニューロンではない細胞の数が、脳の4領域すべてにおいて、アインシュタインの脳では群を抜いて多かったのだ。

一般の人の脳組織サンプルでは、ニューロンではない細胞は平均で、ニューロン2個に対して1個の割合だったが、アインシュタインの脳のサンプルでは、その2倍近く、すなわち、ニューロン1個に対して1個程度の割合で非神経細胞が見られた。その違いが最も顕著だったのが、アインシュタインの脳で優位な側の頭頂葉皮質から採取したサンプルで、そこは抽象的概念や視覚心像、複雑な思考が生起する脳領域だった。

これは偶然だろうか? ダイアモンドは、対照群の組織サンプルのばらつき幅を考慮して、このような差異が偶然に生じうる可能性を数学的に算出した。アインシュタインの脳から採取したどの部位でも、このような差異が偶然に生じうる可能性は低かった。

アインシュタインの脳と平均的な脳との間にダイアモンドが認めた差異は、この非神経細胞に関するものだけだった。これが、天才の細胞基盤となりえるのだろうか? だとしたら、それはどうしてなのか? これらの非神経細胞─「膠細胞(こうさいぼう)/グリア」と呼ばれる─にはどのような働きがあるのか? 

何十年もの間、グリア細胞は精神を気泡で包む梱包材のようなもので、物理的に、さらにおそらくは栄養的にニューロンを支える接合組織にすぎないと見なされてきたが、アインシュタインの脳には、人並み以上のグリアがあった。

グリアが精神機能に関与しているかもしれないという推察は、大部分の神経学者の概念的枠組みから大きく外れていた。その名前自体が、一世紀にわたってこの概念的枠組みを閉ざしてきたのだと言える。なにしろ、神経膠細胞(neuroglia)というその名は、ラテン語で「神経細胞の接着剤」を意味するのだ。

図3 4種類の主要なグリア細胞の1つであるアストロサイト。アインシュタインの脳サンプルでは、アストロサイトの存在比が平均を上回っていた
 
グリア細胞にに関する最新の科学的知見については、ブルーバックス『もうひとつの脳』に詳しく解説されています。

もうひとつの脳 ニューロンを支配する陰の主役「グリア細胞」

  著 : R・ダグラス・フィールズ
  監訳: 小西 史朗
  訳 : 小松 佳代子

  定価: 1500円(税別)

脳の陰の支配者「グリア細胞」とはなにか? 脳内の全細胞の8割以上を占める「グリア」。これまで、電気活動を行うニューロンの間を埋める単なる梱包材とみなされ、軽視されてきた。しかし、近年の研究で、グリア細胞は、ニューロンの活動を感知し、その動きを制御できることがわかってきた。脳に関する科学者の理解を揺るがす、グリア細胞の役割とは?