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父の話は、もしかして全部ウソだったのか? 息子のぼくが抱いた絶望

現役証券マン・家族をさがす旅【13】

現役証券マンにして作家の町田哲也氏が、実体験をもとにつづるノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。

2度の手術を乗り越え入院中の78歳の父は、20代のころ岩波映画でカメラマンとして働いたことを生涯の誇りにしている。しかし、当時の同僚たちに尋ねても、父のことを覚えている人はほとんどいなかった。父自身も、具体的なことはあまり話したがらない。

自らの青春を賭け、前妻の家族から借金してまで追いかけた映画の夢を、なぜ忘れることができるのだろう。もしかして、全ては虚構だったのではないかーー「ぼく」の中でそんな疑念が生まれ始めていた。

「認知症かもしれない」と思う瞬間

この頃の父の対応でむずかしいのは、運動と睡眠のバランスだった。適度に身体を動かさないと体力が落ちてしまうが、疲れると長く寝入ってしまう。

リハビリで歩行訓練を行うと、すぐに疲れて眠くなる。以前より寝ている時間が長くなったような気がする。目を覚ますと、今度は寝る体勢が決まらずに何度も右左に動いていた。

そのうち、「寒い」、「頭が痛い、看護師さんを呼んで」、「頭をぶんなぐって」、「赤い線をハサミで切って」と訴えたので、その都度担当の看護師に来てもらった。母が頭をさすると、少し落ち着いたようだった。

元気のある日は、メガネをかけて新聞を読む。そんな自分がうれしいのだろう。満足そうな表情だった。しかし1時間ほど続けると、「帰りたい、車に乗る」という。たまに看護師が、世間話につきあってくれたことがあった。

機嫌の良いときは、母に、「早く帰って子どもたちの朝ご飯を作ってやれよ」という。せん妄状態のなかに、ふと認知症かもしれないと思わせる瞬間があった。

 

あるとき母が面会に行くと、父は目を覚ましていた。午前中に、看護師に身体を拭いてもらったらしい。

「おふくろ何してるかな?」

母がスマホを持っているのを見て、父がつぶやいた。

「お母さんはもう亡くなったじゃない」

「いつだ?」

母の言葉に、意外そうな顔をした。

「もう10年以上前よ」

「本当か? 電話してみろよ」

あまりにもしつこくいうので、母が妹の千賀子に電話して状況を話した。電話が終わってから、昔を思い出したのか涙ぐんでいた。しばらくラジオで相撲を聞いていたが、母が帰るというと、「車の運転に気をつけて帰れよ、忘れ物はないか?」と優しい言葉をかけるのが意外だった。

気になるのは、映画に対する反応が鈍くなっていくことだった。昔のことは鮮明に憶えていたが、それも出てくるのに時間がかかるようになった。

どうして忘れられるのだろう?

ぼくは今のうちに、具体的な話を聞いておきたかった。どんな作品で、どのカメラマンのアシスタントについたのか。

岩波映画に所属していたことはわかっている。厚生年金にも記録が残っているし、名簿にも名前があった。しかし映画人としての活動の記録が、まったく見えてこないのが不思議だった。

「いろいろやったから、忘れちまったよ」

「大事なことなんだ。何か一つだけでも思い出せない?」

「………」

父は目を閉じると、寝息をたてはじめた。

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ぼくは納得がいかなかった。川島氏は、水中撮影でおぼれそうになりながらカメラを動かした新人時代のことを鮮明に憶えていた。重森氏の記憶に残るのは、工事現場のような生活のなかで教えてくれた先輩の優しさと、それについていけない自分の不甲斐なさだ。

これまで話を聞いてきた岩波映画のOBたちは、昔のことを昨日のように生き生きと語っていた。自分が持てる力の限りを尽くして取り組んだ仕事だ。いったいどうすれば、若き日の経験を忘れることなどできるのだろう。