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野球 週刊現代

いま振り返る「闘将」星野仙一の生きざまを語ろう

水谷啓昭×西本聖×デーブ大久保

年明け早々の訃報に、日本中の野球ファンが悲しみに暮れた。溢れる気迫を前面に、選手として、監督として生涯にわたり闘い続けた男の軌跡を、いま振り返る。

いつだって熱かった

水谷 3月に東京と大阪で「お別れの会」が執り行われたばかりだけど、仙さんの訃報には本当にびっくりした。毎年欠かすことのない直筆の年賀状が届かなかったので、何かあったのかな、とは思っていたのですが……。

大久保 元日に電話で新年のご挨拶をしたんですが、「オヤジ、また食事に連れて行ってください」と頼んだら、弱音なんて一言も吐かずに「ヨッシャ、いつでもええぞ!」って。

でも、その3日後に亡くなられてしまった。いまも心のどこかで受け入れられず、携帯に登録しているオヤジの番号は消せないままです。

西本 僕はデーブと違って、そういうお願いをするのが下手でね、去年、野球殿堂入りされた際に電話でお祝いしたのが最後になってしまった。でも、不思議なことに、亡くなる少し前の12月に、星野さんが夢に出てきたんだよ。普段、夢なんてまったく見ないのに。

水谷 ニシに伝えたいことがあったのかな。

西本 中日のユニフォーム姿で穏やかに笑っているんです。また一緒に野球をしたいのかなって、思っていたんだけど。

 

大久保 西本さんは、オヤジといろいろな立場で一緒になっているんですよね。

西本 うん。僕の野球人生の節目には、かならず星野さんがいた。巨人に入団したときは、星野さんが中日のエースだったから投げ合うこともあったし、トレードで中日に移籍したときの監督も星野さん。

それから、阪神の指揮官をされていた'03年には、投手コーチとして呼んでもらった。いつだって変わらず、熱い人だったな。

水谷 あの「熱さ」は仙さんを語るうえで外せないキーワード。私が中日に入ったのは仙さんが現役を退く4年前だったけど、マウンドでの振る舞いもそうだし、練習しているときも異様なまでの気迫があった。

正捕手の木俣(達彦)さんとか年上の選手たちも仙さんには一目置いていた。

西本 あれほど「絶対に勝つんじゃ!」という闘志が全身から溢れ出ている人も珍しかった。たとえば、相手打者がセーフティーバントを仕掛けてくると顔を前に突き出して、「なにしてくれとんじゃ、オマエは!」と言わんばかりだった。