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不正・事件・犯罪

確信犯を落とせ! オウムを取り調べた「傍流検事」の知られざる過去

傍流検事~麻原逮捕までの57日

「あの人に、こんな大事件の指揮ができるのか?」。検察官たちも初めは、そう囁いた。地下鉄サリン事件で日本が騒然とする中、オウム真理教の闇に切り込んだ検察官たち。その指揮官に抜擢された、"傍流検事"・甲斐中辰夫氏の知られざる死闘を、検察・公安警察の取材を重ねてきた報道記者の竹内明氏が描き出す、特別連載第2回。

(※第1回はこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55167

独自の取り調べ指導

東京地検11階の次席検事室で、甲斐中辰夫は膨大な書物と格闘していた。捜索によって押収されたオウム真理教の教本や説法集だ。

甲斐中はテロリズムを正当化するための独特な教義がオウムの深層に隠れていると睨んでいた。教義の中にある論理的破綻こそが、教団幹部を「割る」(自供させる)材料となる。

 

しかし、いくら書物を読みこんでも、該当するものは存在しなかった。何日もかかって、ようやくたどり着いたのが、「ヴァジラヤーナの教え」だ。これは、殺人行為を「ポア」の名のもとに実行することを正当化するもので、麻原の指示によって殺人を犯した弟子は功徳を積むというものだった。

これこそがオウムの犯罪の拠り所であり、「最大の弱点」が隠されている――。

甲斐中は、特捜部や全国の地検から次々と応援検事を招集し、彼らが着任するとまず、次席検事室に呼び出した。

「君らは黙秘の被疑者を20日間取り調べたことはあるか?」

甲斐中が検事に問うと、大抵は首を横に振った。容疑を否認する被疑者を調べた経験はあっても、雑談にすら応じない完全黙秘の被疑者を調べた経験などほとんどの検事がなかった。

「オウムの被疑者の黙秘の壁は固いぞ。特捜部の取り調べ技術はオウムの連中にはまったく役に立たん。彼らは確信犯であって、ホワイトカラーや暴力団とは違う」

「確信犯」とは、思想や教義に洗脳されて、理想的な社会を実現する目的で罪を犯した者を指す。確信犯は権力と向き合うと完全黙秘で抵抗する。特捜部が相手にする政治家や企業のトップより、自白獲得ははるかに困難だ。

極左による爆弾ゲリラ事件が頻発していた頃の活動家たちは完全黙秘が常套手段だった。何を話しかけてもうんともすんとも言わない。完全に心を閉ざし、権力との闘争心を剥き出しにする。数々の「確信犯」を取り調べてきた甲斐中の経験が生きてきた。

[写真]上九一色村の教団施設への強制捜査で施設から連れ出されたオウム信者(Photo by GettyImages)上九一色村の教団施設への強制捜査で施設から連れ出されたオウム信者(Photo by GettyImages)

黙秘の壁を崩せ

甲斐中の公安検事としての原点は1972年2月の「浅間山荘事件」だ。連合赤軍のメンバーが長野県佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」に押し入り、管理人の妻を人質に立てこもった事件である。

この事件では、犯人との銃撃戦によって機動隊員ら3人が死亡、重軽傷者は27人にのぼったが、立てこもり10日目に警察が強行突入した。逮捕されたのはリーダー格の坂口弘坂東國男吉野正邦、そして19歳と16歳の兄弟の5人だった。

甲斐中は当時32歳、任官7年目の若手検事だったが、吉野雅邦(当時23歳)の取り調べを担当することになった。

吉野は都立日比谷高校から横浜国立大学に入り、「京浜安保共闘(日本共産党革命左派神奈川県委員会)」を経て、「連合赤軍」設立に参加した若者だった。

人質立てこもりは現行犯逮捕によって解決したが、吉野からは数多くの余罪を自白させなければならない。

連合赤軍は森恒男最高幹部率いる「共産同赤軍派」と永田洋子をリーダーとする「京浜安保共闘」が1971年12月に合流して結成された。メンバーは29人になったのだが、彼らは群馬県榛名山などの山岳アジトを点々とする間、「総括」と称する連続リンチ殺人を繰り返していた。死者は12人にのぼった。

さらに赤軍派と合流する4ヵ月前に、京浜安保共闘は二人のメンバーを殺害していた。のちに「印旛沼事件」と呼ばれるこの事件の解明こそが甲斐中の任務だったのだ。

取り調べは甲斐中検事の班と長野県警チームの二班が交替で行うことになった。上田警察署の取調室で向かい合った吉野は想像通り手強かった。

椅子に座った吉野が俯いて座ると、ばさりと赤い長髪が垂れ、顔を覆い隠した。表情はまったく見えなかったが、気付くと髪の毛の向こう側から挑発的な眼で甲斐中を睨み付けていた。ぎらりと光る、獣のような眼だったという。浅間山荘で放水と催涙ガスを浴びていたため、吉野の全身の皮膚に湿疹が広がっており、「権力」への敵意をむき出しにしていた。

甲斐中が何を話しかけても、吉野は完全黙秘を貫き「割る」どころではなかった。10日目にようやく雑談に応じるようになったが、県警チームに交替すると再び殻に閉じこもった。

新生・ブルーバックス誕生!