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ゆず新曲に「靖国・君が代」がいきなり登場、どう受け止めるべきか

政治と流行歌の密接な関係
辻田 真佐憲 プロフィール

歴史をワクチンとして利用せよ

ゆずや「ガイコクジンノトモダチ」については、今後どのように政治との距離を取るのかが注目される。

保守的な道徳の教科書に採用されたり、国策的なイベントに登用されたりすれば、要するにそういう内容だったということになるからだ。

ただ、たとえ最右翼の解釈が正しかったとしても、なにを今更そんなに騒いでいるのか、と思わないでもない。

内容に関しては、すでに述べたとおり、ありふれた保守系の世界観にすぎない。それが音楽になったからといって、どうということもない。音楽家が国策や特定のイデオロギーに奉仕するのは、昔からよくあったことだからである。

一応述べておくが、音楽と政治は古今東西、左右問わず、密接に結びついてきた。

 

もっとも俗世間から離れているように見えるクラシック音楽だってこれが当てはまる。

ベートーヴェンはイギリス軍のために軍歌を作り、ハイドンはハプスブルク家の皇帝のために賛歌を作り、ブラームスはプロイセンの勝利を音楽で祝福し、ショスタコーヴィチはソ連の革命を音楽で寿いだ。これは音楽史の常識である。

また、日本のばあいも、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代にエロ歌謡を大量生産していた音楽家が、満洲事変や日中戦争の勃発に臨んで、軍歌や時局歌を次々に送り出すようになったことがあった。この歴史も、最近ではよく知られている。

そこまでいかなくても、作詞家や作曲家だって政治意識があるのだから、それを音楽作品で表明するのは自然なことである。

これは止められないし、いくら批判したってなくなりはしない。

〔PHOTO〕iStock

ではどうすればよいか。

受け手の側で「またこういうのが出てきたか」と受け流し、影響力を削ぐしかない。そしてその心構えを養うためには、歴史を知ることが重要だ。

政治と音楽が関係するパターンは出尽くしている。ノンポリだった音楽家が、突如政治的なテーマに取り組むことだってけっして珍しくない。

ヴァーグナーでも、フルトヴェングラーでも、ショスタコーヴィチでも、ジャズでも、軍歌でも、なんでもよい。この手の音楽書は近年豊作である。

政治音楽、来たらば来たれ。政治と音楽をめぐる歴史は、われわれにとってよきワクチンになってくれるだろう。

 
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