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ゆず新曲に「靖国・君が代」がいきなり登場、どう受け止めるべきか

政治と流行歌の密接な関係
辻田 真佐憲 プロフィール

ネット右翼青年への皮肉とは読めないか?

これにたいし、「ガイコクジンノトモダチ」の内容を逆向きに解釈することはできないだろうか。

<なのに 国歌はこっそり唄わなくっちゃね>
<なのに 国旗はタンスの奥にしまいましょう>

この2箇所は、「なのに」ではなく「だから」であれば、もっと違った解釈もできそうだ。

この国に生まれ、育ち、多種多様な人生や生活があることを知った。「だから」、とりあえず国歌や国旗のことは横においておきましょう、というわけである。

だが、「なのに」ではそれはむずかしい。ここはやはり国旗・国歌の扱いに関して不平不満を述べていると読まざるをえない。

 

いっぽう「靖国の桜」については、先述のとおり、靖国神社に参拝したのではなく、たんに靖国神社の桜を鑑賞しただけだとも読める。

現に、私は今春の平日に同神社を訪れたが、中国人や韓国人を含め、花見目当ての観光客でごった返していた。ただその場合も、やはり前段の「祈り」との関連がネックとなる。

細部での再解釈ではどうも難しい。もっと全体的にひっくり返すことはできないだろうか。

〔PHOTO〕gettyimages

そこで、音楽雑誌に出たインタビューを参照してみよう。北川は、『音楽と人』2018年5月号で、「ガイコクジンノトモダチ」の政治性を問うインタビュアーに、忌野清志郎の「あこがれの北朝鮮」を例にあげている。

「あこがれの北朝鮮」は、北朝鮮を「いい国」などと褒め殺すことで、皮肉った歌だ。

その例にしたがえば「ガイコクジンノトモダチ」も、ネット右翼青年の「目覚め」を皮肉ったものと取れないだろうか。

しかし、当該のインタビューにそこまで断定できる材料はない。

それどころか、「文章にして読み上げるとかなり危険そうな内容も、ポップソングにしちゃえば何だって歌にできるな、と思って書いてみたんだよね」と、「ポップソングで政治ネタをやってみた」といっているようにさえ読める。

したがって、皮肉と捉えるのは決定打に欠けている。このほか、曲調やフレーズの強弱などからも何かを読み取れないかと試みたが、どうも難しいように思われる。