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全国に急拡大する「子ども食堂」に、いま圧倒的に足りないもの

「子どもの貧困対策法」成立から5年
大西 連 プロフィール

「子ども食堂」が目指すものは何か

「子ども食堂」を持続的に運営していくには、どのような方法があるのだろうか。
それを考えるには、目指すものについてまず前提を共有しなければならない。

子ども食堂と聞いて多くの人がまず考えるのは「貧困家庭の子どもへの支援」である、ということだろう。

ちょうど、子ども食堂がメディア等で取り上げられ始めたタイミングで「子どもの貧困対策法」が成立したこともあり、そのイメージも強い。

実際に、子どもの貧困対策としてスタートしたところも多いだろう。

一方で、たとえば、子ども食堂の名付け親とも言われる大田区の「気まぐれ八百屋だんだん こども食堂」などのように、必ずしも子どもの貧困に対してではなく、地域の拠点、居場所としての役割を担う「子ども食堂」も全国的に多く存在する。

これを、湯浅誠氏は「ケア付食堂」「共生食堂」と分類している(2016年)が、これらは明確に違うものというよりは、それぞれが重なる部分も多く、「子ども食堂」という名のもとに共存している。

 

なぜ、この前提を共有しなければならないかというと、ここを踏まえなければ議論が混線するからである。

例えば、「子どもの貧困対策」としての「子ども食堂」というのは、「子どもの貧困」に対抗する手段として「最も有効な方法であるとは言えない」だろう。

当然ながら、「子どもの貧困」に対抗するためには、その世帯の所得をあげるような施策(経済給付や就労支援、生活支援等)を公的に整えていく必要があるだろうし、その子どもに対しても教育の機会が得られるような仕組み(学校外教育への支援や給付型奨学金、大学等への進学支援など)を社会(公的にも民間にも)が構築していくことが求められる。

これは大きな話で、社会保障のみならず教育や雇用についての施策ともかかわってくることでもあり、私たちの税金をどのように使っていくかという問いでもある。

そう、これはあくまで政策的な話である。「子どもの貧困対策」というと難しいのだ。

一市民ができることとしての「子どもの貧困対策」としては、「子ども食堂」というのはとても重要な意味を持つと言える。

では、「地域の拠点」という役割として考えた場合はどうであろうか。

これはある種、「社会的孤立」への取り組みとも言えるが、家庭や学校(職場)、地域のなかで居場所がない、孤立している、もしくはそれら以外の人間関係を持たないような人たち同士の交流や、場の提供という機能を意味する。

もう少し具体的に言うと、既存のコミュニティからの避難場所としての性質や、新しい人間関係を築くための機能なのだが、当然、当事者のニーズは共通ではないし、その場で支えられる人もいれば、そうでない人もいる(そこの「子ども食堂」が合うか合わないか、もある)。

そうなると、合う場所を見つけられるくらい多種多様な「居場所としての機能」が通える範囲に複数選択肢としてあることが重要になってくる。要するに、一人ひとりの需要に合った「居場所」を提供するのは難しいことでもある。

でも、たとえ全員を包摂することは難しいまでも、一市民でも「地域の拠点」として何かできないか、ということはとても大きな意味を持つし、その実践は重要なのだ。

ここで言いたいのは、「子どもの貧困対策」としても、「地域の拠点」としても、「子ども食堂」は万能な特効薬ではないし、解決のための力としては決して大きくはないということだ。

しかし、こういった小さな一つ一つの取り組みが重なり、拡がっていく意味は計り知れない。