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LGBT、引きこもり…大江健三郎が60年前から描いた「青年の闇」

いま、氏の作品を読むべき理由
今夏、「幻の作品」と呼ばれた「政治少年、死す」も収録された大江健三郎の全集(『大江健三郎全小説』)が発売される。なぜいま、大江健三郎なのか。長年の親交がある、読売新聞編集委員の尾崎真理子氏と、講談社の担当である山口和人氏が大江氏との思い出を語りながら、その意味について解説する。

二度、断られた

山口 いまなぜ『大江健三郎全小説』を刊行するのかというテーマで、読売新聞編集委員の尾崎真理子さんをお招きして、楽しく、おもしろく、その意義を語っていければと思っています。

尾崎さんは読売新聞で「文芸時評」をご担当された後、文化部長をお務めになりました。文芸ジャーナリストとして大江さんを長らく取材され、『大江健三郎 作家自身を語る』(新潮社)というご本に結実しています。大江さんは敷居が高いと思われがちですが、「朝食は何時頃、何を召し上がりますか?」などと尋ねたりして、親しくインタビューされた結果、とても興味深い本になっています。

 

申し遅れましたが、私は『大江健三郎全小説』を担当している講談社・山口です。約25年大江さんを担当しています。

実は大江さんに対しては全集刊行を持ちかけたことが過去2回ほどあって、2回とも断られています。たぶん大江さんは大げさなことがお嫌いで、しかも謙虚な方で、自分はいまさら全集には値しないと思われていたフシがあります。

そこである日思い余って尾崎さんに、「二度全集を持ちかけて断られたのですが、、何かいい知恵はないでしょうか?」と泣きついたんです。そうしたら尾崎さんは、「初期作品に描かれている1960年前後の若者を取り巻く状況と、現在の若者を取り巻く状況には共通点がある」と面白い指摘をされました。

尾崎 歴史でも周期説みたいなものがありますが、当時も現代も青年の生き難さがある。1950年代、敗戦国の若者たちは価値の崩壊のためにアイデンティティを持ちにくかった。戦争に遅れて生まれてきたという奇妙な罪悪感めいた思いもあり、必死にもがいていた。

今、例えば集団に適応できなかったり、ひきこもってしまったり、「LGBT」という言葉がありますが、そういう現代に通じる問題を、60年前に書いたとは思われないぐらい大江作品は先取りしています。今に重なって、古びていない。だから、今、大江全集を出すことの意味はものすごくあるんじゃないかという話を山口さんとしました。

山口 実際、今読み返してみると新しい意味が生まれる。若い人が読むと、自分と全く同じような状況がそこに読み取れるという現象がある。当時の大江さんの小説のタイトルを並べてみるだけでも、「報復する青年」、「後退青年研究所」、『遅れてきた青年』、『孤独な青年の休暇』、『青年の汚名』と、もう青年のことしか書いていない。

最初期の「奇妙な仕事」あるいは「死者の奢り」を読んでみると、表面的には何かとんでもないバイトをさせられて、結局はお金がもらえないというブラックバイトの話になっている! 60年を隔てて同じ世界が繰り広げられているという話を尾崎さんがして、これは全集をやる意味があるんじゃないかと考えました。

そしてこの発見を大江さんに話したところ、3度目にイエスをもらったという舞台裏のエピソードです。

大江作品との最初の出会い

山口 尾崎さんが最初に出会った大江作品は何でしたか。

尾崎 私が本当の意味で出会ったのは『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』です。本当の意味でというのは、ようやくわかるようになったということです。

駆け出しの記者時代の24歳の頃、静岡市役所の記者クラブである朝、ほかの新聞各社も一緒になってコーヒーを飲んでいたら、毎日新聞の一つ二つ先輩記者が『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』を持っていまして、「これ、みんな読んだ? 一応読んでおかなきゃヤバイよね」と言って、そこにいる二十代、三十代の記者たちがひとしきり大江作品の文学談義を始めたということがありました。80年代前半はまだそういう気風が新聞記者の間に残っていたということです。

私も文庫になったものは大体読んだりしていましたが、そこまで入り込めなかったというのが正直なところでした。これは読まなきゃダメなんだと思って、でも、その時間がとれたのは駆け出し時代が終わって結婚して最初の子どもを持った頃。一年間育児休業を取ったときに、『「雨の木」(レイン・ツリー)を聴く女たち』やちょうど出版された『懐かしい年への手紙』を読みました。『ノルウェイの森』やよしもとばななさんの『キッチン』が出た頃ですね……。

山口 1987年から1988年にかけてですね。

尾崎 はい。そのころやはり大江健三郎という人がいなければ、日本の文学はここまで来なかったんだなということを実感しました。大江作品と出会って、それから30年がたったということです。

山口 今の話を聞いて振り返ってみて、自分がどの作品を最初に読んで、どういう出会い方をしたのか考えると、自分の個人史に大江作品が組み込まれているという印象があります。

私の場合は『個人的な体験』です。そのとき26歳くらい、結構遅いんです。留学の休暇でニューヨークにいて、マンハッタンの知り合いのほの暗いアパートでした。クリスマス、みんな外で騒いでいるんですけど、友人の女性とその知人の男性と三人で、なぜだかずっと夕方までひたすら寝てるんです。途中僕だけ起きて、薄暗い部屋で、あの隘路にはまり込んでゆくような『個人的な体験』を読んでいたという思い出があります。

僕らは職業柄、作家である大江さんと頻繁に接触して、人生の節目節目で大江さんとのいろいろな思い出があります。尾崎さんにとって、大江さんの忘れられないエピソードは何かありますか。

尾崎 一番インパクトがあったのは、1994年10月13日、ノーベル賞発表の夜の瞬間です。私はその二年ぐらい前に、ようやく志望どおり文化部の文芸担当になれて、その日は成城の大江さんの自宅前で待機しろということで待っていました。

そうしたら共同通信の記者が待たせていた車の自動車電話から第一報が入って、ものすごい雄たけびを上げたのです。アーッというその声を聞いた瞬間に、そこにいた三、四十人が全てを理解した。それから代表してその共同の記者が呼び鈴を鳴らして、大江健三郎さんが中から厳かに現れた。マイクを出して、私たちはそこで立ったままメモをしていたんですが、そのとき本当に足がガクガク震えたのを覚えています。