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政治政策 政局

「こんな時こそ絶対に安倍支持」な人に、どうか気をつけてほしいこと

ネット右翼十五年史【特別編】

「今こそ支えるべき」という団結心

森友学園文書改竄問題の余波が覚めやらぬ中、陸自日報問題が再燃している。政権の支持率は低下し、第二次安倍政権は苦境に立たされている。

ところが、第二次安倍政権を熱烈に支持してきたコア支持層ともいうべき保守層からの「安倍批判」はほんど聞こえてこないばかりか、むしろ「今こそ安倍政権を支えるべき」という団結心にさえ発展している。

一部の例外を除いて、森友文書問題での麻生財務大臣辞任をかたくなに否定し、昭恵夫人の証人喚問の声も門前払い。責任の全ては財務官僚にあるとして政権(安倍・麻生)を擁護し、いまだに「朝日新聞の仕掛けた反安倍策動」の大合唱で、森友文書問題を報じるメディアは「反日」扱いである。

この問題に対する冷静で客観的な政権批判は、このような保守層からはほぼ皆無に等しいというのが現状である。

永遠に続く政権はない。第二次安倍政権ですら当然例外では無い。にもかかわらず、ポスト安倍への期待は全くないなかりか、自民党内で安倍総理と距離を置く人々をコアな安倍支持層は敵視している。

次期総裁候補にあがっているとされる岸田文雄や野田聖子は、本来宏池会出身で、党内的には保守本流である。安倍の出身派閥、清和会こそが長らく非主流の存在である。

にもかかわらず、岸田待望論、野田待望論はこういった層から聞こえてこない。安倍から距離を置く石破茂への呪詛、野田への呪詛すら聞こえる有様だから誠に奇観といわねばなるまい。

自民党の憲法9条改正案では、安倍は公明党の「加憲」の立場を慮って、第9条二項を温存したまま三項(自衛隊)を追加するという妥協案を出した。これに対して石破は、第9条二項の修正を提案した。憲法観で言えば明らかに石破の方が「右より」なのに、コアな保守派は前述の通り石破を嫌悪する傾向があり、やはり安倍追従は揺るがないのである。

「派閥政治」と揶揄された時代の自民党を支持していた層や保守派は、中選挙区にあってそれぞれの支持派閥に投票し、また派閥抗争の結果、支持者の間にも合従連衡があった。そこには対立もあったが融和もあった。

かつての自民党は、「8個師団」と呼ばれ、それぞれの派閥のカラーは保守から中道、リベラル寄りまで多様であった。その多様で雑多な派閥が混在して一つの自民党を形成していた。

ところが現在、安倍総理を熱烈に支持するコアな保守層は「安倍以外は認めない」とも言える教条的な安倍支持で凝り固まっている。同じ自民党の議員ですら、安倍批判を言おうものなら「自民党から出て行け」などと唾を吐かれる始末だ。

いつから安倍総理を支持する熱烈な保守層は、排他的とも言えるほど教条的に安倍を支持し、同じ自民党議員にすら唾を吐きかけるようになったのだろうか。

いったい、この珍妙な現象はなぜ起っているのか。

 

思い浮かぶ「あの事件」

1936年2月26日、陸軍皇道派の青年将校らが決起し、反乱部隊が永田町一帯を占領、岡田啓介内閣の高橋是清蔵相、齋藤實内大臣など4名が殺害された。帝都には戒厳令がひかれた。

世に言う「2.26事件」である。

決起将校らは、昭和恐慌における農村の疲弊を目の当たりにし、天皇親政と「君側の奸」除去を目指した。スローガンは「尊皇討奸」である。

ここでいう「君側の奸」とは、「君主のそばに居る悪奸」を意味する。これは天皇の周辺に居る重臣たちであり、すなわち岡田首相ら重臣であった。

これら「君側の奸」によって天皇の真意が遮蔽されている。よって天皇は真に民草を思っているが、「君側の奸」がこれを邪魔している。天皇は無垢の存在であり、悪いのは重臣である――こうした思想が「尊皇討奸」という思想を作り出した。

しかし、2.26事件に対し最も激怒したのは他ならぬ昭和天皇であった。

昭和天皇は「朕自ら近衛師団を率いて、此れが鎮定に当たらん」と発した。つまり、皇道派の青年将校らが「自分たちの思想に実際には共感してくれている」と思い込み、思慕していた天皇自らが、彼らの決起を「反乱」と見なしていたのだ。結果、反乱軍は「賊軍」とされて首謀者らは死刑になった。この後、皇道派は急速に衰えていく。

この2.26の故事を、第二次安倍政権にあてはめるのは難しい事では無いように思われる。

安倍政権を一方的に思慕しているのが保守派だとすれば、実際には彼らをあまり当てにしておらず、全期間を通じてむしろ冷淡だったのが「君」たる安倍である。

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