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エンタメ 週刊現代

伝説のサザン初代マネジャー「いまはタクシー運転手。仕事は楽しいね」

アミューズ元専務の転身

音楽業界に身を投じ、役員まで上り詰めた男は、一転してタクシードライバーとなった。数々の一流アーティストを育てながら、なぜ彼は走る接客業へ転身を遂げたのか。そのすべてを本誌に語った。

最初はナベプロに入社

福山雅治、星野源、そしてサザンオールスターズ――。大物アーティストを多数抱える芸能プロダクション「アミューズ」の創業期を支え、専務取締役まで上り詰めたのが、池田潤氏(68歳)だ。

池田氏は現在、都内のタクシー会社「代々木自動車」で運転手として働くかたわら、同社の労働組合の副委員長を務めている。

芸能事務所の役員から、厳しい労働環境におかれがちなタクシー会社の労組へと大きく立場を変えた池田氏だが、このような異色の経歴を歩むきっかけはなんだったのか。池田氏はこう語る。

「私は大阪府立豊中高校から関西学院大学へ進み、1974年に卒業し、渡辺プロダクションへ入社しました。

入社当時の渡辺プロは、大御所のハナ肇とクレイジー・キャッツや上り調子のザ・ドリフターズなどが看板で、ひとたびの黄金期を迎えていたといえます。

自分としては、文化にかかわる仕事がしたいと思って選んだ道ですが、当時の芸能界は、世間の風当たりがいまよりも強かった。おばあちゃんに『ナベプロに就職する』と言ったら、『芸者の置屋になるのか』なんて驚かれたほどでしたから」

 

ナベプロに入社後、池田氏は現場マネジャーとして怒濤の日々を送る。最初に担当したのが、ブレイク直前のキャンディーズだった。

「キャンディーズを担当したのは3枚目のシングル『危い土曜日』を出したころです。メンバーを引率したり、衣装を選んだりするのが僕の仕事でしたが、当時のキャンディーズは一部の熱心なファンがいただけ。

歌手としてよりも、『8時だョ!全員集合』でコントをやっていた姿のほうが、世間からの注目は高かったのではないでしょうか。『アイドルにコントをやらせていた』なんて言われ方もしますが、本人たちは楽しんでやっていたと思います。

もちろん、歌手として成功したいというのが第一で、『池田さん、もっとがんばって歌の仕事取ってきてよ』とよく尻を叩かれていました。

ブレイクのきっかけになったのは5枚目のシングル『年下の男の子』でした。一度売れると、それまでお願いして出してもらっていた番組に、向こうからオファーが来るようになる。『ああ、売れるってこういうことなのか』と実感しましたね」

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