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息子を「稀勢の里」と思い込んだ、入院中の父とのやりきれない時間

現役証券マン・家族をさがす旅【10】

現役証券マンにして作家の町田哲也氏が、実体験をもとにつづるノンフィクション・ノベル『家族をさがす旅』。

​一時は生死の境をさまよい、入院中の78歳の父。学生の頃からずっと折り合いが悪かった「ぼく」だが、ほとんど知らなかった父の過去を徐々に知るようになり、心境も変わりつつあった。そんな中、父がある言葉を口にする。

タガが外れたように話して

2度目の手術を終えると、父はふたたび集中治療室の生活に戻っていた。

手術室のすぐ隣にある病室で、ナースステーションとも隣接している。専用のモニターに心拍数や血圧が表示されるので、異常が起きた際にはすぐに気づくことができる。ベッドが8つほどしかないところを見ると、症状の深刻な患者だけを一時的に診る場所なのだろう。

心拍数や血圧に問題はないようだった。短期間に2度の手術は、まだ70代とはいえ身体に堪えるはずだ。まずは体力回復を図る必要がある。主治医である八木医師の口調にも、慎重になっている様子がうかがえた。

父は人工呼吸機のチューブを口に入れていたが、これがかなり苦しいようで、強い睡眠薬を導入されていた。目が覚めたときに、苦しがってチューブを噛みちぎろうとしたことがあるらしい。

 

八木医師の話では、出血は止まっており回復に向かっているが、尿の出が悪いのが心配だという。

足はそれほどでもないが、手がパンパンにむくんでしまっている。むくみが続くのは良くない兆候で、身体から水分を除かないと心臓が圧迫されてしまう。幸い肺には水がたまっていなかった。

人工呼吸器が外れたのは、手術後3日目のことだった。主治医としては、早くリハビリを開始して一般病室に移れるようにしたいというが、簡単ではないのは明らかだった。胃ろうは今まで手動で流していたが、廃棄液の量が多いので今後は器械で流し出すことになった。

問題はせん妄だ。この日も朝からずっと、寿司屋の出前の話をしている。人工呼吸機が外れて声が出せるようになってから、タガが外れたように話している。

父の実家は、かつて目の前が海岸だった。昔から刺身が好きなのは、そのとき食べた魚の味が忘れられないのだろう。母の姉が見舞いに来たときは、寿司屋でご馳走したいと何度もいっていた。

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昔から父は、ご馳走というと寿司だった。家族で食べに行くことは滅多にないが、美味しい寿司屋があるといって出前をよく取っていた。とはいっても高い寿司屋ではない。どこにでもあるチェーン店で、安っぽくない造りという程度のものだ。

生ものがあまり得意でない母にとっては、苦痛でしかなかっただろう。できれば炭水化物は少なめにして、おかずの品数を多くしたものが食べたいとこぼしていたが、父からするとそんなものは食事ではなかった。

次に多かったのは、相撲の話題だ。パン屋をやっていたときは、朝は材料の仕込みで5時前に起きるが、近所の高校での出張販売から帰ってくるとやることはない。夕方には飲みはじめ、8時頃には寝る生活を繰り返していた。

そんな生活にあっていたのが大相撲だった。ぼくがまだ高校生の頃、たまに早く家に帰ると、大相撲の中継を見ていたことを思い出した。

べつに相撲でなくてもよかったのかもしれない。ボクシングをしていた父にすれば、自分の身体一つで闘うスポーツに違いはなかった。むしろその闘い方に表れる選手の生きざまのようなものに、強い関心を持っていた。

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