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ライフ 仏教

坊さん、GoogleMapを駆使して車遍路する。

そして僕は四国遍路を巡る⑦

サラリーマンだった主人公が突然お坊さんになる様子をユーモアある筆致で記したベストセラー書籍で、映画化もされた『ボクは坊さん。』。その著者にして、愛媛県今治市にある栄福寺の住職・白川密成さんの四国遍路巡りと、お坊さんとして過ごす日常をお送りする本連載。マイカー遍路の徒然なる記録、そして感じたことをお届けします。

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とにかく怒らないこと

お遍路参りの予定を入れると、不思議とお坊さんとしてお葬式を拝むことになるのは、奇妙な偶然だった。もうそれが3回ほど続いていた。

その日も、車での遍路参りに出かける予定だったが、檀家さんが亡くなり葬儀を拝んだ後、寺に戻り、境内を行き交うお遍路さんの姿をぼーっと見つめていた。すると自分が面識のある僧侶と似た雰囲気のお坊さんが目に入った。遍路研究や仏教の戒律研究者としても知られ、高野山の修行僧達にも毎年、教えを授ける奈良の寺の僧侶だった。様々な修行を積む密教僧としても知られる。

僕はその僧侶から、数年前にお手紙を頂き、

「中国・五台山の参拝を計画していたら、不思議とあなたの顔が浮かんだ。一緒に行きませんか?」と誘ってくださって中国の巡拝をご一緒して以来、何度か教えを受けることがあった。

慌てて境内に下りてゆくとやはりその僧侶だった。せっかくの機会なので、ご挨拶を済ませた後、「今、自分も四国遍路をお参りしているのですが、どのような気持ちでお参りすればよろしいでしょうか」と率直に質問してみた。

「とにかく怒らないこと。遍路で経験するすべてが修行だからね。例えば境内でガチャガチャ音をたてる人がいて、お経が唱えにくかったり色々なことがある。しかし怒らないことだよ。すべての人たちが、仏性(ぶっしょう、本来持っている仏としての本性)を持っているはずだから、それを遍路では見つめて」

「怒れども也(また)移さず」(弘法大師 空海『続遍照発揮性霊集補闕鈔』巻第八)
【現代語訳 心の怒りを顔にあらわさず】

空海が愛弟子の智泉(ちせん)が亡くなった時、智泉の人徳を讃えて書いた言葉だ。どこかそこに繋がっているような感覚があった。また誰かの仏性をみつめることは、自分の仏性を見つめることと近いのかもしれない。

「荒々しい言葉を言うな。言われた人はあなたに言い返すであろう。怒りを含んだ言葉は苦痛である。報復があなたを見るに至るであろう」(『ダンマパダ』第10章133)

古い仏典の言葉をみても、「怒り」をたしなめる言葉が連なる。僕自身、お遍路の前に「マイルール」を決めた時、「怒らない」ということを自分で試みた。しかし、このような形で修行を積んだ僧侶から声をかけて頂くと、自分で決めたルールとは違った深度の気持ちになり、実際遍路の途中で思い出すことも多かった。このお参りの途中、恥ずかしながら短気な性格の自分は十分、気をつけよう。

そして、「特に歩いていると、お寺ばかりでなく遍路をする道に強い力があることがわかる」という話をしてくださった。そのことも覚えておきたい。そして漫然とお参りするのではなく、自分なりのテーマを持ってお参りすることの大切さを説いてくださる。これは、自分の尊敬する同郷の禅僧からも伝えられたことだった。

相棒はお経のCD

 そして、またある日、地元の愛媛をお参りする日がやって来た。出発したのは出遅れて朝の8時40分。四国札所の納経時間は、7時からなので、およそ2時間の遅れである。遍路をしていると「時間の重み」「早く動き始めることの大切さ」を感じることが多い。そのことは人生において、ささやかでも大きな気づきかも知れない。相棒は、お経のCDである。今日はなんとなくそんな気分だ(どんな気分だ)。

地元、今治の札所のお参りが途中になっているので、まずは五十九番国分寺を参拝。

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創建時は、約8万平方メートルの境内を誇ったと伝わるが、天慶9年(939年)に「藤原純友の乱」で焼失、さらには元暦元年(1184年)源平合戦でも燃え、その後も何度も戦乱によって、被害を受けた歴史を持つ。しかし今となっては、「その時代からお寺があったということ自体が、歴史を感じるなぁ」と悠然した気持ちになるのもまた事実である。このお寺の住職さんは、年下でご近所のお坊さんとしてよく会う僧侶なので、「寄付石」をどこの石屋さんに頼んでいるかなど、世間話をした後、お寺を辞す。

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境内には、握手をすることのできる「握手大師」があり、僕もちょっとミーハーな気分で、握手をしてみる。お参りをしていて風情のある古仏に手を合わせるのも(僕にとっては)爽快な気分だが、こういった新しい石仏も楽しい。この握手大師もまた年を重ねられて、古仏となっていくのだろう。

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