ドイツ
「日本がすべてを変えた」
フクシマ以降、「脱原発」に再転換した
ドイツのエネルギー戦略

北海、バルト海に1600もの風車を計画
〔PHOTO〕gettyimages

 ドイツの反原発市民運動は筋金入りで、すでに40年の"抵抗"の歴史がある。70年代には、参加者が10万人にも上る抗議デモが繰り広げられたこともあった。

 普段はおおむね平和な"抵抗"が極度に過激化するのは、高レベルの放射性核廃棄物の輸送のときだ。とにかく毎回大騒ぎで、大騒ぎの規模がどのくらいかというと、日本で比較できるものを探すなら、70年安保まで遡らなければならないかもしれない。

 ドイツでは高レベルの核廃棄物は、カストールと呼ばれる6メートルもの長さの巨大な円筒型容器に封じ込めて運ぶ。昔は使用済みの燃料棒は、フランスのラ・アーグかイギリスのセラフィールドで再処理し、そこから北ドイツのゴーレーベン、あるいは、西ドイツのアーハウスなどという中間貯蔵施設へ輸送した(2004年以来、ドイツは核廃棄物の国外持ち出しはせず、未処理のまま国内で中間貯蔵している)。

 輸送が遂行されるたびに、反対派は大行動に出る。たとえば、線路に陣取る。目的は、輸送を最大限邪魔することだ。ただ、町中で大っぴらに陣取っては、すぐに警察が来るので、人里離れた森の中などの、線路だけが寂しく通っているようなところに潜む。まさにゲリラ戦術だ。

 しかも、そこに座っているだけでは能がないので、ごつい鎖で自分の体を線路に固定することも一時流行った。これを焼き切るとなると、とにかく手間暇が掛かる。また、線路に障害物を仕掛けたり、線路下の砂利を掘ったりという犯罪性の高いことをするヤツもいるので、輸送を事無く貫徹するため、いつも何万人という警官が動員される。2004年には、デモ隊の中から轢死者まで出た。

 ちなみに、日本の使用済み燃料の再処理も、イギリスとフランスの同施設に委託されている。つまり、高レベルの放射性物質は、船に乗ってしょっちゅう日本とヨーロッパの間を行ったり来たりしているわけだ。莫大な出費だし、何と言っても危険だ。ソマリア沖にはしばしば海賊が出没するし、国際テロリストのよい標的にもなる(だから輸送船も武装している)。しかし、日本で大きな抗議運動が起ったという話は聞かない。

過去最大の抗議運動

 さてドイツで、そのカストール輸送が昨年11月にも行われた。フランスで再処理され、そのまま預かってもらっていた核廃棄物を、いい加減に引き取れと言われたのだ。しかし間の悪いことに、この頃、反原発派の人々の怒りはまさに沸点の一歩手前に達していた。というのも、政府は直前の10月末に、2002年に施行した脱原発法を覆し、稼働年数の延長を決めたばかりだったのだ。古い原発も、あと2、30年は動かそうという腹だった。

 11月5日、列車に積まれてフランスの西海岸を出発した11個のカストールは、ドイツの領土内に入ったあと、鉄道でダンネンベルクまで北上し、そこで重トレーラに積み直され、ゴーレーベンまで20キロの道のりを運ばれる予定だった。計123トンの高レベルの放射性廃棄物だ。妨害者に情報を与えないよう、ルートはもちろん極秘にされる。

 ちなみに、カストールの輸送はたいてい冬に行われる。極寒の野外で、いつ来るかわからない列車を延々と待つなどということは、熊のように頑丈な人間にしかできない。気候がよければハイキングがてらに参加する人たちで、デモ隊の人数は100倍ぐらいに膨らむだろう。冬に放水されればこたえるが、夏では効き目は少ない。警察はお手上げだ。

 さて、11月のこの日、一番手ごわいグループは、終着駅に近い場所に集結していた。総勢3000人といわれている。どちらが先に手を出したかは不明だが、警察との激しい衝突になった。最後まで座り込んでいたデモ隊は、警官が二人一組になって、一人一人持ち上げて撤去した。大男たちが重いリュックサックを背負っているのを、丸ごと持ち上げるのだ。どんなに重労働かは想像に余りある。

 ようやく駅に着き、重トレーラに積み替えたあとも大変だった。道路封鎖は佳境に入っており、大型トラックが道をふさぎ、3400人の人間が座り込み、さらに何も知らない2000頭の羊と50頭のヤギが道路を散歩していた。一方、貯蔵施設の正門前では、4000人が座り込み、そこには緑の党の党首まで加わっていた。結局、あらゆる難関を突破して11個のカストールが目的地にたどり着いたのは92時間後。抗議運動は過去最大で、輸送に掛かった経費も5000万ユーロ(65億円)と、これまた過去最高だった。

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