司法

真実を知りたい…「アーチャリー」と呼ばれたわたしが考えていること

麻原裁判は、これでよかったのか
松本 麗華 プロフィール

突然の「控訴棄却」

裁判所に選任された西山詮医師は、父に訴訟能力ありとする「鑑定書」を書き上げました。これは要約すると、物を握ったから訴訟能力ありとするもので、内容としてほとんど理解のできないものでした。

西山医師は、心理検査は不可能と思われたので実施しなかったと明記し、父との意思疎通は1回も図れていません。西山医師は、自由に父と会うことができる立場にありましたが、実際に父と会ったのは3回で、その時間も長くなかったようです。

 

また、西山氏は、首を左に向け、上体を硬くしてビクビク、ビクビクと震わせる一種の発作があり、付き添いの職員3人が、不安そうに「あら、あら、あら」と小声で叫んだが、発作は数秒で終わったと、父がけいれん様発作を起こすところも目撃しています。しかし、原因を究明しようとはしていません。

この「西山鑑定」は、父を診断した精神科医の先生方から、厳しい批判をされています。例えば、野田正彰先生は、

「鑑定主文すら、このような曖昧、意味不明な概念の結合でできあがっており、このような鑑定主文に基づいて裁判所が訴訟能力の有無について判断することは到底できない」(「『麻原死刑』でOKか?」ユビキタ・スタジオ 2006年4月発行)

とおっしゃっています。精神科医で作家の加賀乙彦先生は、

「西山鑑定では物を言う能力が失われたことを示唆する証拠はないと書いていますが、彼が松本智津夫を診察したのは3回だけで、その間に松本智津夫が語ったのは、痛いとか簡単な言葉4つだけでした。あとは言語的コミュニケーションが全くできていない。それなのにどうして訴訟能力があると結論づけるのか、全く論理が通っていません」(『創』2006年5月号)

また、既に他界されていますが、当時まだお元気だった秋元波留夫先生は、

「言葉や動作が示されなければ偽痴呆性という診断はできないはずなんですね。(中略)だからこれは診断の誤りですね」(『創』2006年5月号)

と、それぞれおっしゃっています。

控訴審係属後、弁護人は裁判所から、控訴趣意書という書類を提出するように命じられていました。しかし弁護人は、父に訴訟能力がなく、本人の意思すら確認できない状況で、控訴趣意書を出すことはできないと、事情を説明していました。父が裁判を続けたいのかどうかさえ、弁護人にうかがい知るすべがない状態で、当事者を無視して裁判を行うことはできません。

このとき弁護人は、裁判所から「鑑定結果が出るまでは、控訴棄却決定をすることはない」と約束されていました。裁判所とのやり取りでは、ここでいう「鑑定結果」とは、西山氏の「鑑定書」が出るまでではなく、その「鑑定書」に対する弁護側の反論まで含まれていました。

弁護側は「2006年3月28日に控訴趣意書を提出する」と裁判所に連絡をしました。しかし、その前日の27日、裁判所は突如として控訴を棄却します。理由は、控訴趣意書が提出されなかったから、というものでした。

父は治療を受けられず、一言もしゃべれないまま、控訴審という大切な裁判の機会さえ失ってしまったのです。控訴審で公判が行われなかったので、最高裁での審理も行われませんでした。

37年ぶり「裁判所からの懲戒請求」の意味

控訴審の弁護人は、マスコミから、裁判所から、社会から、そして同業者であるはずの弁護士から、控訴趣意書を出すという弁護人の義務を果たさなかったと、あたかも控訴棄却が弁護人の責任であるかのように責め立てられました。

裁判所はこれに追い打ちをかけるように、刑事訴訟規則303条に基づき、訴訟の迅速な進行を妨げたとして、17年ぶり(「朝日新聞」2006年9月25日夕刊)に、日本弁護士連合会(日弁連)に対する弁護人への処置請求を行いました。

さらに、この請求が日弁連によって「不適当」と判断されると、今度は37年ぶりとなった懲戒請求を行っています。懲戒請求は、弁護士法第58条に規定されており、「懲戒の事由がある」と思う人がいれば、誰でも請求できるものです。社会的にも、おそらくは歴史的にも重大であるはずの「麻原裁判」を、一審だけで終わらせてしまった責任を、弁護人に取らせようとしたのでしょうか。

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