自民党の憲法改正推進本部が、「必要最小限の実力組織」という表現を取り除いて、9条改憲案をまとめる方針を固めた。
私はそれをとても良い動きだと考えている。「必要最小限の実力」が、非常に曖昧で、長い間、混乱を招いてきた概念だからだ。
【自民党の憲法改正推進本部の改正案(3月22日時点)】
9条の2 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2項 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
長く使われてきたので、素朴な親しみを持つ人もいるのだろう。だが論理的に説明できる人には出会ったことがない。
憲法学の基本書が言う「自衛隊はフルスペックの軍隊ではない」という命題の背景にある概念だが、「フルスペック」などといった概念にも、憲法典上の根拠はない。
私は、『集団的自衛権の思想史』執筆のための調査を始めた際、「必要最小限」の概念がいつ登場したのか、謎に感じていた。
内閣法制局は、1954年12月の鳩山一郎内閣の成立とともに「必要最小限の実力」が合憲だとされるようになったと国会答弁している。それを無批判に受け入れた憲法学関係の書物なども1954年12月登場説をとっている。
しかし実際に1954年12月当時の記録を見ると、誰もそのような概念を使っていなかった。
私はそこで1955年になってからの関係文献や国会会議録を調べていき、不思議なことに気づいた。1955年6月中旬を境にして、突然、人々が「必要最小限」の概念を使い始めるようになっていたのである。
慎重に国会議事録を調べてみたところ、通常われわれが使う電子上の国会会議録に欠落があることがわかった。オリジナルの会議録と照らし合せてみると、1955年6月16日の電子上の会議録において、決定的なやり取りが欠落していたことがわかった。
当時、吉田茂の流れを汲む当時の自由党は、「最小限の実力」は憲法が禁止する「戦力」に該当しない、という見解をとっていた。
それに対して1954年12月に政権をとった鳩山一郎の民主党は、「必要な自衛力」を憲法は禁止していないという見解をとり、国会で真っ向から対立していた。
1955年6月16日の衆議院内閣委員会でも、自由党の江崎真澄と、鳩山一郎首相の間で、論戦が行われた。激しい自由党側の追及に鳩山は答弁を維持することができず、動議によって、委員会は休憩に入った。
2時間半に及んだ休憩の後、鳩山は、突如、「自衛のため必要最小限度の防衛力を持てる」というのが自分の憲法解釈だと言い始め、あろうことか、これについて鳩山は率直にも、「憲法九条に対しての解釈は、先刻申し上げました通りに、私は意見を変えました」と言い放ったのである。