野球 週刊現代

甲子園に行ける子は、13歳までに決まっているという現実

ドキュメント 野球エリート
赤坂 英一

素質は巨人・坂本クラス

そんな根尾に優るとも劣らぬ逸材が東邦の大型内野手・石川昂弥(新2年生、185cm、84kg、右投げ右打ち)だ。根尾と同様、石川も小学生時代から高く評価され、小学6年生で中日が主宰するドラゴンズジュニアのメンバーに選ばれている。

球団で少年野球の指導をしている元投手・水谷啓昭が目をつけて、ジュニアの監督、元外野手の音重鎮に推薦したのだ。

私が初めて石川を見たのは、彼が中学3年生で、愛知知多ボーイズにいた昨年の冬だった。そのときから、水谷は「素質は巨人の坂本勇人クラスです」と強調していた。

「リストが強くて、スイングが鋭い。投手としても球威とキレのある直球を持っています。東邦のような強豪校でも、1年生でレギュラーを取れるでしょう。内野手一本でいけば、間違いなく坂本ぐらいの選手になれる」

ボーイズ時代の評価を高めたのは、中学3年生だった'16年、野茂英雄が主宰する野茂ジャパンのメンバーに選ばれたことだ。

8月のアメリカ遠征に行き、WBC決勝でも使われた大リーグ・パドレスの本拠地球場ペトコパークで、米国ボーイズリーグとの試合に出場。2、3、4番で全4試合にスタメン出場した石川は持ち前の打棒でチーム一の活躍を見せている。

もっとも、石川の感想は意外に冷静である。

「アメリカは楽しかったんですけど、球場は守りにくかったです。内野に芝があるから打球の速さが変わるでしょう。芝の上では緩いゴロが、土の上ではサッと速くなる。それに対応するのが大変だった覚えがあります」

水谷がこう補足する。

「石川はそういう初めての状況にも慌てず、しっかり対応できるセンスがあるんです。常に的確な状況判断ができて、身体能力が高いぶん、球際にも強い。適応力が優れているということですね」

水谷の言葉が地元の身びいきではない証拠に、石川の元にも全国の高校から野球部監督や部長が足を運んできた。

その中には、中学生をスカウトする手腕でもつとに知られた大阪桐蔭の西谷監督もいた。「残念ながら、ご縁がなかった」と西谷は私にもらしている。

石川が東邦に進んだのは、父・尋貴、母・由香子がどちらも同校の卒業生だったことが大きい。

尋貴は東邦野球部OBで、'89年の選抜で優勝したときの部員だった。大阪の上宮と決勝で激突、1-2で迎えた延長10回裏2死走者無しからの逆転サヨナラ勝ちはいまでも語り草だ。

ひとりで投げ抜いた山田喜久夫と同級生の3年生だった尋貴は、アルプススタンドで声を嗄らしていた。控えの捕手だったが、ベンチ入りメンバーに選ばれず応援に回っていたのだ。

自らは大学生活の途中で野球をやめた尋貴は、長男の昂弥が生まれるとすぐ野球のボールを握らせた。「できることなら甲子園に行かせ、将来はプロにも挑戦させたい」と、かつて挫折した自分の夢を託したのである。

東邦の監督・森田泰弘は、尋貴の高校生時代、野球部のコーチを務めていた。尋貴のころは「鬼の阪口」と呼ばれた阪口慶三(現大垣日大監督)が監督で、口だけでなく手も足も出るスパルタ式の練習が当たり前だったが、

森田がその阪口からバトンを受け継いだのは'04年。体罰に対する世論が厳しい現代はさすがに昔のようにはいかない。

愛知県東郷町のグラウンドを訪ねると、石川ら選手たちが大声をあげて練習に打ち込んでいた。女子マネージャーが数人練習を手伝っているせいか、他校より明るい雰囲気が感じられる。

そんな教え子の姿を見ながら、「ぼくは近々、引退するつもりなんです」と意外なことを打ち明けた。

「阪口さんの後を受けて14年経ちますし、60歳も近い(森田監督は'59年生まれ)。そろそろ潮時です。その前にもう一度、甲子園に出場して優勝したい。

そのチームを引っ張ってくれるのが石川じゃないかな。みなさんが見ていてワクワクする本物のスターになってほしい。いや、したい」

妻が1階で焼き肉店を営むマンションの4階に下宿させ、たっぷり栄養を取らせた甲斐あって、石川は1年秋から4番に定着した。夏に左手小指を骨折して1ヵ月練習を休んだが、その間に三塁コーチとして相手バッテリーの攻め方をじっくりと研究。秋の東海大会では2本塁打を放ち、選抜出場を決定づけている。

「選抜では父の代のように優勝したい。甲子園ではガンガン打ちます」

意気込む石川に、森田監督は投球練習もさせている。大阪桐蔭・根尾との二刀流対決が実現する可能性もゼロではない。

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