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不正・事件・犯罪 週刊現代

「年金不正受給」「外国人労働問題」…乱歩賞作家が描く日本の闇

夏目信人シリーズ最新作『刑事の怒り』
薬丸岳さんの最新作『刑事の怒り』は年金不正受給、外国人労働、介護など、いま日本に山積する社会問題を巧みに盛り込みミステリーに昇華させた作品だ。本作を描いたきっかけや、刑事・夏目信人の人柄を通じて読者に感じて欲しいことなどを、著者ご本人にインタビューした。

「理解し合えない不条理」がある

―『刑事の怒り』は少年鑑別所で法務技官として働いていたものの、40歳を過ぎで警察官に転身した異色の刑事、夏目信人を主人公とする人気シリーズの最新刊です。

4つの短編が収められていますが、時事問題を貪欲に取り入れつつ、人間の内面を丁寧に描いた読み応えのある作品ばかりです。

もともと鑑別所で非行少年と向き合い、更生を支援してきた夏目は、これまでのシリーズでも、犯人や事件の関係者と誠実に対話し、時に鋭く内面に切り込んできました。しかし、シリーズが進むうちに、だんだんと夏目のもつ「万能感」が気になり始めたんです。

夏目が、罪を犯すに至った人間の心理や気持ちがどのような経緯で生まれてきたのか、「真の動機」を探し当てる物語なのは、本作でも変わりませんが、万能感を崩すために、物語の設定に新たな変化をくわえました。

―夏目は東池袋署から錦糸署に異動し、本上という新たな相棒刑事も登場。新章突入を印象づけています。何より、介護や性犯罪、外国人労働者といった、現代日本を取り巻く繊細な問題が巧みに盛り込まれており、ひとつひとつの作品に重厚感があります。

私はニュースを見て気になった社会問題を物語の題材にすることが多いのですが、テレビ番組でのコメンテーターの発言に、「問題の本質を理解しているのだろうか」と違和感を覚えることは少なくありません。

一方で、きわめてまっとうな主張が、インターネット上で炎上することもある。社会にはそういうままならない面があるんですよね。

どれだけ夏目が人の心に寄り添うことのできる人間でも、万能なわけではない。置かれた状況によっては、どんなに心を尽くしても言葉が届かない犯人や、理解し合えない人だっているはずです。そういう不条理を描きたいと思いました。

―最初の一編、「黄昏」の容疑者は、40代の独身女性、幸田華子。二人きりで暮らしていた寝たきりの母・二美枝の遺体をスーツケースに入れ自宅に隠していたものの、死後約3年もたってから突然自首し、死体遺棄の容疑で捜査が始まります。

華子が告白するまでに、なぜ時間がかかったのか。その真相を夏目が追いますが、解き明かすのはトリックではなく、華子の「本当の動機」です。

死亡した家族の年金を不正に受給する問題や、介護疲れによる殺人がよくニュースになりますが、その背景にはそれぞれの家族にしかわからない複雑な事情が隠れているのだと痛感します。

人物の真理を丁寧に描いた

―「異邦人」の主人公はベトナム人留学生のクエット。同じベトナム人留学生の女性、オックが起こした住居侵入、傷害事件の警察通訳人になったことから、夏目の捜査に関わっていきます。

近年増え続けている外国人留学生を題材にしようと調べているうちに引っかかったのは、ある裕福な留学生の言葉でした。犯罪者になる同郷人を「迷惑だ」と言うんですね。経済的に追い詰められ、売春を強いられたり、罪を犯してしまう人がいる一方で、同じ国の留学生のなかにはその人たちを軽蔑する人もいる。

言葉が届かない相手に対してどう振る舞うか。夏目とオックのように、言語が通じない壁はもちろんありますが、クエットとオックのように、同郷人でも、気持ちが通じないもどかしい壁も一方では確かにある。

―日本を象徴する風景である「桜」を初めて見た時、美しさに感動したオックが、「桜なんか見たくもない」と漏らす場面は日本人として深く考えさせられます。さらに、その「桜」が事件の謎を解き明かす鍵になる構成は、実に巧みです。

実のところ、ミステリ作家の端くれでありながら、トリックを考えるのはあまり得意ではなくて(笑)。でも、今回はうんうんと唸りながら一生懸命に謎を作りました。

トリックが苦手なかわりに、というわけではないですが、登場人物の心理を丁寧に描くことにはこだわっています。「異邦人」でも、時代や国境を越えた、家族への思い、他者への労りのような普遍的な価値観が、事件の真相に関わってきます。

 

―表題作「刑事の怒り」では、5年前のバイク事故で重度障害者になった西野慎吾が、入院していた病院で不審死する。事故後ずっと寄り添ってきた恋人で看護師の茉優、慎吾の高校の同級生の圭介を軸に進む物語は、思わぬ結末を迎えます。

慎吾はまばたきの回数でイエス・ノーを示すしか、意思表示ができません。そういう人たちの生きる尊厳、そして、介護する家族の「本当に彼らのことを思えているのか」という葛藤。さまざまな気持ちが交錯するなかで、真実が明らかになっていきます。

―夏目の一人娘・絵美も意思疎通の難しい重度の障害を背負っています。だからこそ、クライマックスでは犯人への「怒り」があふれたのでしょうか。

いえ、犯人に向けられた憤りは、夏目が当事者だからではなく、誰もが持つものだと思うのです。ただ、他の刑事たちが、真相とは異なる結論に流されそうになったとき、夏目だけが「きっと、そうではない」と考えて、捜査を続けられたのは、揺るぎない信念があったからだと思います。

本書には、嫌な読後感が残ったり、夏目の意見や行動にかならずしも同意しきれない部分があるかもしれません。それでも、読み終えたあとに人間として信じられる「何か」が残る小説になっていたらうれしいです。

(取材・文/伊藤達也)

『週刊現代』2018年3月31日号より

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