〔PHOTO〕岩本良介
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「ここは、地獄か?」川崎の不良社会と社会問題の中で生きる人々

問題だけでなく、「希望」もある

社会問題と社会運動の歴史がセットになった街・川崎。2015年に川崎市中1男子生徒殺害事件や川崎市簡易宿泊所火災といった事件・事故が立て続けに発生したこの街には何があるのだろうか。

その背景には「現代日本が抱える大きな問題がある」と言うのは、『ルポ 川崎』著者の磯部涼さんだ。「ここは、地獄か?」という刺激的な帯も目を引くこの本は、発売から半年以上経っても話題になり売れ続けている。

日本の大問題とは何か? 川崎の街から、問題の見えなさ、が見えてくる――。

(聞き手:望月優大)

『ルポ川崎』著者・磯部涼さん(写真=岩本良介)

光と闇が表裏一体

――『ルポ 川崎』、おもしろく読ませていただきました。まず、取材の拠点となっている川崎区という街について教えていただけますでしょうか。

磯部 地元の不良少年たちは「川崎はしがらみばっかりでクソだ」と言いつつ、「人情味があって暖かい」とも表現します。それは決して矛盾しているわけではなく、どちらも同地が持っている側面だと思います。

――川崎区は田舎でもなく都会でもない。濃い部分と薄い部分、明るい部分と暗い部分が混ざり合っているような印象があります。歴史的にはどういう成り立ちなのでしょうか?

磯部 東京と横浜という大都市に挟まれているという意味では、インナーシティと言えそうです。臨海部には工場が連なっており、京浜工業地帯の要として、戦前/戦中は軍需産業、戦後は復興を支え、日本の経済成長に大きく貢献してきました。

そして、その工場で働くために全国各地から人が集まり、労働者の街として栄えてきたという歴史があります。川崎駅周辺では彼らのためにいわゆる「飲む、打つ、買う」の商売が発展し、それを仕切るためにヤクザの力が強くなった。

労働者の中には朝鮮半島からやってきたひとたちもいて、彼らは日本人が住まない湿地帯にバラック小屋を建てコミュニティを形成していきました。今でも臨海部の街、池上町に行くとまるで迷路のようなつくりに面影が伺えます。

また、工場地帯の負の側面として、住民は公害に苦しみ、長い訴訟を闘いました。在日コリアンに対する風当たりも強かったため、集住地域・桜本の川崎教会が中心となって反差別運動を起こしました。

――社会問題と社会運動の歴史がセットになっている街なんですね。

磯部 やはりそこにも2面性があるというか、近現代日本の発展と歪みを双方、体現しているんですね。あるいは、川崎区は面積の半分近くが工場地区で、その他の地区はそんなに広くないですが、そこにも様々な側面があり、凝縮度がすごい。

例えば、最近はラゾーナ川崎プラザやリニューアル・オープンしたアトレ川崎といった商業施設が賑わう一方で、そのすぐ近くには日進町という旧びたドヤ街がある。

ラゾーナもアトレも駅直結なので、ほとんどの買い物客はそこに足を運ぶどころか存在を知ることすらないでしょうが、横にはまったく違う世界が広がっている。

近年、社会問題の不可視化を指摘するひとは多いですが、そういった傾向を象徴している街だとも言えます。

――光と闇が表裏一体なわけですね……。

磯部 かつては川崎区と言うと、「公害の街」「ヤクザの街」「ホームレスの街」という印象を持っていたひとも多かった。

しかし、最近はジェントリフィケーションが進み、「きれいで安全になった」という声も聞かれます。ラゾーナの他にもハロウィンパレードが有名になり、明るい面がフォーカスされることも増えてきました。

しかし、それによって、川崎が抱えてきた問題が解決したわけではありません。

ホームレスも減ったわけではなく、街なかにいさせてもらえなくなって川沿いに住まいを移しただけだったりする。あるいは、行政の指導により生活保護を受け、日進町に立ち並ぶ簡易宿泊所に移ったひとも多い。

それを改善とみなす向きもあるでしょうが、簡易宿泊所は収容数を増やすために違法建築を行い、そのせいで、2015年5月に大規模な火災が起こった際、火の回りが早くなった。

結果、11人もの方が亡くなりましたが、そのほとんどが高齢者の生活保護受給者で、助かった方も行くあてがないので再び簡易宿泊所に戻ることを希望した、という報道が、当時、驚きを持って受け取られました。彼らは川崎の街、ひいては日本の発展を支えてこられた方々です。

第2次産業は全国的に下り坂で、ラゾーナも工場跡地に建てられているわけですが、日進町には時代の移り変わりの中で取り残された問題が確かに存在していると言えます。