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文学 思想 五輪

日本人はどこから来たのか? 平昌五輪で目にした忘れ得ぬ光景

あなたを駆動する「物語」について⑨

心が動き、体を動かす

平昌冬季オリンピックを観ただろうか?

人間ってこんなに多彩な動きをするんだ、こんなにいろんなことをしたいんだ、と思い、これでよくひとつの競技に専心できるものだと感心し、しかしそれらをいちいち競技にしていたら施設や資金や土地が足らん、などと思い、つまるところ人間の想像力には感心させられる。

そう、感心してやまないのは、人の運動能力というよりは人の想像力だ。

こういう動きをしてみたい、こういうことをためしてみたい、する必要がある、ならばどうしたらいいのか。

あるいは、偶然見たあの景色をもう一度見るには。そんなふうに思ったから、ある動きができた。元は「感動」「心が動いたこと」なのだろう。

速く走る、泳ぐ、跳ぶ、飛ぶ……どれひとつとっても野生動物には敵わない人間という種だが、ここまで多彩な動きができるということ自体が、特筆すべきことである。これが人間の人間たるところ。

そして、一度できた動きをもう一度繰り返したいと思うのもまた人間ならではである。動物は、あの動きをもう一度、あのとき見た風景をもう一度、とは思わない。

だから、人が体を動かすことの前にあったのは、絶対、心が動くことだったはずだ。だから、人間にとって面白い動きはいつだって、日常から、必要から、そして遊びの中から、出てくる。

また、道具を使うことの多い冬の競技はなおのこと、人間の工夫を感じさせる。

そして冬こそは、人間が工夫しなければ生き延びられない季節だった。

 

冬の競技は危険だから…

次世代を感じさせる選手が多かった、と言う。これは半分本当で半分嘘だと思う。冬の競技は危険だから、若い選手が多いのだ。

新しい競技ほど危険で、新しい競技ほど人が若い。世代交代がうまく行ったというより、その世代しかできないのだ。

スノーボードのエアリアル競技などは各国、高校生は当たり前、今に小学生が出るようになるかもしれない。若い選手が増えたというよりは、若くないとできない競技が増えた。

人体だけでは決して出せないスピードが、雪や氷の上では出る。それにあまり大きな恐怖心を持たずにいられるのは、若い人間である。もっと言えば、子供である。

恐怖心が薄く体が軽いうちに身に着けたものを、体が軽いうちに使い切る。

冬のオリンピックこそは、「新世代」のものだ。いつも。それは競技人生がひどく短いということでもある。

この点は、「育てる」側の人間の邪心を呼びやすいように思う。 

「だからもっと子供のうちから育てればメダルがたくさんとれる」と。

これは真実は含んでいるかもしれないが、危険が多い。

若者をもっと若いうちから育てようとして「次世代強化」のために、子供の自由な動きを止めて、競技で高得点を上げることを教えこんでいくのなら、それは人間的な営為ではない。

「もっと若いうちから育てれば、より多くの国家貢献者ができる」というのと変わらない。森友学園と同じ発想だ。

そういうことは、「育成」の中で障害を負った人の補償をできるシステムまでを込みにして、言ってほしい。じっさい、競技スポーツでは、体が健康になるより、障害を負う可能性のほうが高い。道具を使う冬の競技はなおさらだ。

新生・ブルーバックス誕生!