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映画『ブラックパンサー』が全世界で大ヒットの意外な理由

単なるヒーロー映画じゃないんです

マーベルのスーパーヒーロー映画『ブラックパンサー』の勢いが止まらない。とにかく、すさまじいまでの、驚天動地の大ヒットが全世界を席巻している。

僕がこの原稿を書いている3月11日の時点で、本国アメリカでは公開から4週目の週末も土つかずの全米ボックス・オフィス首位堅持。だから同地の興収累計は3週目で早くも5億ドル(!)を突破(現在約5億3千百万ドル。「Deadline」より)。

興収だけでなく、批評家からも絶賛されている。後述するが、前大統領夫人のミシェル・オバマも本作を激賞している。これほどまでに「ラディカル」なヒーロー映画が、あり得ないほどの大成功街道を驀進ばくしんしている。

本稿は、その「あり得ない」達成を実現させるに至った、この作品の根幹にある「気高き理想」について解説を試みるものだ。全米の、いや世界中の観客のあいだに感動の波紋を広げた「ラディカルなアイデア」とはなんなのか、これから書いてみたい。

そしてのちに詳述するが、とくに日本人こそが「歴史的経緯から」この映画を観なければならない、と僕は考える。この革命列車に、あなたも乗り遅れてはいけない。これは黒人観客だけを意識して作られた映画ではない(あるわけがない)。「全人類に向けて」覚醒を迫る一代傑作なのだから!

では、その「驚異的」大ヒットの現状を、興行収入の数字から俯瞰してみよう。

たった3週間で「全米歴代9位」

すでに3週目の時点で歴代マーベル映画の全米興収2位に着けていた――つまり『アイアンマン』『キャプテン・アメリカ』『マイティ・ソー』『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』らのシリーズすべても、そして『スパイダーマン:ホームカミング』(2017年)もみんな抜いて、残るは『アベンジャーズ』の1作目(12年)のみ――のだが、晴れてこの4週目の週末でDC映画の『ダークナイト』(08年)も超えたことが明らかになった。現時点で早くも「全アメコミ・ヒーロー映画の全米歴代興収2位」の座を獲得している。

要するに、すでにして『ブラックパンサー』は、歴史的お化けヒット映画と化している、ということだ。たとえば、昨年度の大ヒット作の数字と見比べてみよう。

アメリカでの最終興収ベースで見ると、トップの『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』(6億1千9百万ドル)にはまだ及ばないものの、2位の『美女と野獣』(5億4百万ドル)、3位の『ワンダー・ウーマン』(4億1千万ドル)は、もう超えている。先週末の時点で、つまり「たった3週で」すでに軽く超えていた。ちなみに全米の興収累計の観点で見てみると、「すでに歴代9位」にまでも達している。

そんな勢いだから、『ブラックパンサー』は、なんと「公開からたった26日で」全世界興収総計が10億ドルを突破することにもなった。現時点での国外での興収が5億ドル近くになる見込みだからだ。

「10億ドル・クラブ」に入ったということは、世界歴代興行収入の上位30傑レベルに名を連ねた、ということを意味する。

といったわけで、本作が文句なしの「記録的大ヒット」だということは、おわかりいただけたかと思う。そしてこれを「あり得ない」と僕が評したのは、ハリウッド大作の成功方程式から見ると「異例ずくめ」「前例などあるわけない」作品が『ブラックパンサー』でもあったからだ。

本作は「黒人スーパーヒーローを主役とした」最初のメジャー映画であり、主要キャストがほとんど黒人、監督のライアン・クーグラー(なんとまだ31歳!)以下主要スタッフも同様で、劇中の大半は「アフリカの架空の国」を舞台としている……と、これらの要素すべてが「例がない」ものだ。それにもかかわらずの、大成功なのだ。

この桁外れの数字が意味するものは「黒人観客以外も無数に」劇場に詰めかけた、ということを意味する(黒人だけでこれほどの数は稼げない)。逆にこうは言えるかもしれない。

ニューヨーク、アポロシアターにて(Photo by gettyimages)

「よほどの人種差別主義者以外は」みんな『ブラックパンサー』を愛している、と。あらゆる人種、民族、そして性別を問わず、本作は観客を魅了しているのだ、と。

そのヒットのありようについて、もはやひとつの社会現象と呼ぶべきだ、との声がアメリカでは多い。アクティヴィストでジャーナリストのショーン・キングは「『ブラックパンサー』はアメリカ史における最も重要な文化的瞬間のひとつだ」として、音楽界におけるマイケル・ジャクソンのアルバム『スリラー』(1982年)の大成功に匹敵するほどの事件だと書いている(「Medium」2月20日の投稿より。以下同)。

解説しよう。マイケル・ジャクソンの『スリラー』は、MTVですら「黒人の音楽」は限定的にしかオンエアしなかった時代に、「あらゆる人種、民族、性別」の人々にアピールした。「史上最も売れたアルバム」となった。そのせいでポップ音楽は永遠に変わってしまった。

ポップ音楽界は「白人主導」どころか、どんどん「その逆」へと変貌していく。市場のメインストリームをヒップホップやR&Bが寡占している今日の状況は、『スリラー』に端を発している、という見方は根強い。

つまり「同じことが映画界にも起きる」というのがキングの意見だ。また、「ヒップホップの誕生」「オバマ大統領の誕生」「ローザ・パークス事件」といった「アメリカ史における大事件」と『ブラックパンサー』の成功は並び称されるものだ、とも記す。

僕の言葉で言うと、『ブラックパンサー』はブルース・リーの映画諸作に匹敵する。ブルース・リーの信奉者は「アジア人だけ」ではない。彼はアジア人の理想像のひとつとして永遠に輝く(と僕は考える)が、同時に「あらゆる人種、民族、そして性別を問わない」層から広く、そして深く厚く敬愛され続けている。『ブラックパンサー』はすでにその位置に達している。

だから僕はこう思う。いま我々が目撃しているのは「映画の革命」と言っていいような、きわめて稀な瞬間なのだ、と。

映画界が音を立てて変貌していく、その様の一部始終が我々の眼前にある。そして、この革命の起点となった希有なる傑作『ブラックパンサー』は、現実をも変革していくはずだ。「映画によって」多くの人々の意識が変革されれば、それが社会へと反映されていくのは必然だからだ。避けられないからだ。

2016年の米大統領選予備選時のサンダース・ブーム、あのときの熱気の一部分を、いま僕は思い出している。

何がそんなにスゴイのか

そして『ブラックパンサー』の「成功」とは、興行収入だけではない。内容への評価、これもまた「すさまじい」。

ごく普通の「成功要因」は、本編のなかにいくらでもある。個性的なキャラクターがいい(悪役キルモンガーのマイケル・B・ジョーダンもいいが、『ウォーキング・デッド』の女剣士ミショーン役のダナイ・グリラが演じる槍使い戦士オコエ、これが滅法素晴らしい)。そして豪快なアクションやVFX、見事な美術もいい(コスチュームからSF的ガジェットまで、すべてが印象的で美しい)。

スコアもいいし挿入歌もいい(いまをときめくケンドリック・ラマーだ)……そうしたファッショナブルな点、エンターテイメント性の高い部分が「よく出来ている」のは間違いない。

だが、それは『ブラックパンサー』の成功を論じる際の最重要ポイントではない。

最も重要なのは、テーマだ。そのテーマを通じて伝えなければならない「理想」だ。それを「自らの手で実現可能かもしれない」と直観させてくれる「インスピレーション」だ。奮い立たせてくれる、駆動力の源だ。これらの明確性こそが、「アイデア」であり、それが世界に熱狂を生んだ。