企業から離れたときの「気づき」

私は1980年代の終わりに新聞社という古い組織に入社し、社員として10年以上働き、グローバリゼーションが始まろうとしていた90年代終わりに会社を去った。辞めるときには、まるで家族から引き離されるような「ロス」的な鬱な気分に陥って、正直言えば退職を後悔したこともあった。フリーになってからずっと仕事は不安定だったけれども、2008年にリーマンショックが起き、引き続いて出版業界が不況になり、潰れる出版社がいくつも現れたとき、ひとつの「気づき」があった。

それは老舗の出版大手に勤める編集者と話していた時のことだ。彼女は出版不況を嘆きながら、「まさかこんな太い会社の行く末を心配しなきゃいけない日が来るなんて……もし潰れちゃったら私の行き先なんてどこもないですよ」。

彼女は有能な編集者だったので、行き先がないなんてことはないだろうと思ったが、私は別のことも考えていた。それはこういうことだ——私は彼女よりもずっと不安定だけど、気がつけば今は10社ぐらいの出版社と取引していて、いろんな仕事をしてる。だから1社ぐらいは潰れて仕事がなくなっても、とりあえずは大丈夫かなー。

つまり、フリーの私の人生という「全体」にとってはひとつの出版社は「部分」でしかないということだ。会社や仕事という「部分」が壊れても、人生というシステム「全体」が続いて行く。そういう可用性の高い人生が求められている。

信念は曲げずに領域を広げる

この気づきを得てから、私は仕事の幅を思い切って広げるようになった。それまでは「ジャーナリストは筆一本、という気迫が必要だ」と思っていて、他の領域に侵食することは避けていたのだけれど、そういう考えは捨てた。自分でメールマガジンを発行するようになり、求められれば自らの知見をもとに企業へのアドバイスやさらには出資などもするようになり、自分でトークイベントも計画し、ありとあらゆる方向でいろんな人たちと一緒に仕事をするように変えて行った。

どんなこと起きても、自分の人生の可用性を保つということを最優先事項に据える。もちろん、それで自分の書くことの世界観や信念を曲げるわけではない。自分の思想の軸を保ちながら、その軸を曲げないように領域を広げて可用性を確保していく。そういう長期戦略を立ち上げて行ったのだ。