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エンタメ 週刊現代

夏目漱石は小説が下手?「国民作家」の盲点をついた異色の解説本

阿刀田高にインタビュー

夏目漱石を知っていますか』は、『坊ちゃん』『吾輩は猫である』『こころ』『それから』など数々の名作を残してきた漱石が、実は小説が下手でだった、ということを解説した驚きの一冊だ。ではなぜそんな「上手くない作家」が「国民作家」で居続けられるのか、その理由を作者の阿刀田高さんに聞いた。

『こころ』から女性軽視が滲み出る

―ギリシア神話や聖書など古典をわかりやすく解説して人気の「知っていますか」シリーズ。7冊目で、ついに泣く子も黙る「日本の国民的作家」夏目漱石の登場です。ところが、帯には「はっきり言って、小説は上手くない」という惹句が……。

私もかつては、漱石に心酔していたんですよ。大学を出て、出版社の入社試験を受けるとき、もし「愛読書について書け」という出題があったら迷わず『こころ』で書こうと思っていました。

ところが、自分が作家になり、歳を重ねてから漱石の作品群を読み返したら「あれ、そうでもないな」と思えてきた(笑)。例えば『こころ』の結末は、主人公の「私」が「先生」の自死の真相を知る遺書で終わるという迫力あるものです。しかし、「私」はその真相を「先生」の妻である「奥さん」には伝えない。

ありていに言えば、「女は理解能力が低いから教えない」ということなのですが、これは物語の筋としても不足があるし、時代背景を考慮しても、あまりに女性を軽く見すぎているでしょう。21世紀に「国民文学」と手放しに褒めそやすのには、抵抗があります。

漱石の最初期や晩年の作品も、改めて読み返すと、ストーリーが破綻していたり完成度の低いものが散見され、どうにも気にかかるのです。

―では、逆に、当時の小説家のなかで阿刀田さんが「上手い」と思うのは誰でしょうか?

やはり芥川龍之介でしょう。発想がユニークだし、物語を展開するセンスも、当時としては頭一つ抜けている。

漱石は、小説のモチーフや作品に託する思想は、非常に深いものを持っていて、時代に先駆ける先見の明もあったと思います。けれど、それを小説としていかに読ませるかというテクニックでは、明らかに芥川に軍配があがるでしょう。

 

努力家のインテリゲンチャ

―『漱石を知っていますか』では、漱石の作品が執筆順に解説されていくため、ひとつひとつの作品を読んだだけではわからない漱石の心情や、作家としての変遷が理解でき、「なるほど」と思わされます。

年代順に見ていくと、漱石の創作技法の試行錯誤の過程がとてもよくわかります。まず、最初の長編『吾輩は猫である』は、俳句雑誌「ホトトギス」に発表されたもので、インテリゲンチャの読者層に対して、言文一致の日本語を書くにはこう、日常の生活の描写はこうと、手本を示した形になりました。近代日本語の「模範例」を作り出した功績は、非常に大きかったのです。

とはいえ『猫』ははっきりした筋もなく、小説として読み通すにはかなり退屈な作品です。漱石自身もきっとその自覚があったのでしょう。

次の長編『坊っちゃん』では、インテリだけでなく庶民にも楽しめるストーリー性を重視します。明確な善玉と悪玉を登場させ、見事な活劇に仕上げました。

ただ、面白さに重きをおいたあまり、芸術としてのメッセージ性は希薄だった。そこで、その次の『草枕』は、打って変わって観念小説として難解なやりとりをちりばめてみる……。こんなふうに、漱石は前作への反省に従って、新しい手法を試していったのだと思います。やはり、根は学者で、勉強家なんですよ。

―決して「上手く」はなかった漱石は、どうして日本の国民的作家として扱われるようになったのでしょう?

ひとつには、やはり文章そのものの巧みさでしょう。『草枕』の有名な書き出し「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ……」は、それこそ日本文学史でも有数の「声に出して読みたくなる名文」です。

本人も「どうだ、文句あるか!」というくらいの心持ちで世に送り出したと思います。やっぱり、お手本になるような日本語を残したからこそ、教科書に掲載され、みんなに読まれたわけです。

それから、生涯にわたり長編に挑戦し続けたことは大きい。芥川は上手いですが、短い作品が多いでしょう。相撲で言えば、「技の冴える関脇」といったところで、どうしても「横綱」にはなれない。国民的作家と呼ばれるには、長編に取り組まなければいけないと思います。

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