写真:著者提供
ライフ 仏教

坊さん、遍路の合間にインスタグラムを開いて歴史の移ろいを感じる。

そして僕は四国遍路を巡る⑥

サラリーマンだった主人公が突然お坊さんになる様子をユーモアある筆致で記したベストセラー書籍で、映画化もされた『ボクは坊さん。』。その著者にして、愛媛県今治市にある栄福寺の住職・白川密成さんの四国遍路巡りと、お坊さんとして過ごす日常をお送りする本連載。マイカー遍路の徒然なる記録、そして感じたことをお届けします。

*バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/misseishirakawa

どこかユーモラスで、どこか哀しげ

前回のお参りの翌日、僕は再び遍路に出た。本来であれば、その日からまる2日間、車での遍路をお参りできるはずであったが、僧侶としてお葬式を拝むことになり、夕方にあるお通夜までの時間にいくつかのお寺をお参りすることにした。亡くなったのが、僕が推薦状を書いた四国遍路の先達(せんだつ、お遍路さんの指導的立場の人)さんであったので、お参り中は何度か彼のことを考え供養の合掌を供えた。

この日の遍路から、僕が子供の頃から育った愛媛県今治市の札所参りがはじまる。五十四番札所延命寺(えんめいじ)のご住職は女性で、僕とは年齢が離れているが、若く住職を継いだことを心配されてか、住職になったばかりの頃は、電話で近況を聞いてくださったりすることも多かったご住職である。

写真:著者提供

またこの寺は、文章を寄稿したり、本を書く僕にとっては、大先輩(と呼ぶのはおこがましいのだけど)達の足跡が残る寺でもある。

まずは真念(しんねん)の残された標石がある。

写真:著者提供

真念は江戸時代に『四国邊路道指南(しこくへんろ みちしるべ)』(貞享四年、1687年刊)などの遍路の案内書、現在のガイドブックの元祖となるような本を書いた。この本は、出版後かなり売れており1年足らずで、3版となっている。お遍路の道具や、宿の場所、船賃、そのような具体的情報が多数掲載されていたことがヒットの原因でもあるようだが、すでにかなり多くの参拝者が遍路をお参りしていたということでもある。

 

また鎌倉時代に華厳宗の僧、凝然(ぎょうねん)によって、当時代表的な八つの仏教宗派の教理をシンプルに説いた『八宗綱要(はっしゅうこうよう)』は、現在に至るまで、読まれることの多い歴史的名著であるが、この著作は、この寺で書かれている。今、僕の手元にあった『八宗綱要ー仏教を真によく知るための本ー』(鎌田茂雄全訳注、講談社学術文庫)を開いてみても、巻末に「文永五年(1268年)戊辰の年、正月29日、伊予国の円明寺(白川注、延命寺は明治時代まで円明寺と表記されていた)の西谷において、この『八宗綱要』を書いたのである(訳)」と記されている。そのことを表記した新しい石塔も建っている。

写真:著者提供

前回書いた空也、一編でも感じたことであるが、ここでも真念、凝然という傑出した僧達の動きに手が触れた思いが染み込んでくる。また『八宗綱要』のような日本仏教史に燦々と輝く存在が、自分の育った今治という土地、四国遍路の札所で産まれたことに、歴史と自分が繋がっているような感覚を覚えた。これもまた遍路の功徳のひとつかもしれない。

今年の冬は四国でも珍しく気温がとても低くなり、この寺でも雪が舞い始めた。

写真:著者提供

しかしちょっとした息抜きにお参りの後、車内で開いたインスタグラムで、四国札所の山寺住職がアップした豪雪の様子をみて、「こちらはまだ穏やかなもんだな」と思う。鎌倉時代や江戸時代には、リアルタイムで他のお寺の様子が確認できるとは思いもしなかっただろう。このお寺には、英語版のお遍路さんが各寺院に収める納札(おさめふだ)が置いてあった。遍路寺の時代も今日という日を刻み、日々、歴史という時計は動いている。

写真:著者提供

境内のお地蔵さんの足下に、たくさんの赤ん坊が合掌してすがっている様子が、どこかユーモラスで、どこか哀しげでもある。「どこかユーモラスで、どこか哀しげ」と頭に言葉を浮かべながら、それはまるで僕たちの生活や人生みたいだなと思う。楽しいだけでない、だからといって哀しいばかりでない、そんな混じり合った気持ちを寄せ合って、積み重なってゆく自分達の「憎めない」人生を見つめるように、四国遍路の路を進める。

写真:著者提供
新生・ブルーバックス誕生!