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2020年、子どもの「学力格差」はこんなに広がっているかも

アクティブラーニングへのかすかな不安

ある授業の一コマで…

忘れられない授業風景がある。十数年前の授業研修で見学した小学4年生の「お店屋さんごっこ」の様子である。児童が店員役と客役にわかれて、値段の計算(算数科)、野菜や魚などの商品の知識や物流(理科・社会科)、適切なコミュニケーション(国語科・道徳)などについて、売買行為を通して、体験的に学ぶ授業アクティブラーニングだった。

「こちらは安くて新鮮ですよ」
「もっと安くならないかしら」

店員役と客役の児童が大きな声で値引き交渉している傍らで、ひとりうつむき加減に掃き掃除の仕草をしている女子児童がいた。

担任の教師によれば、店員役と客役の児童は総じて学力が高く、コミュニケーションも得意である。それに対して、掃除役の児童は、学力不足で、コミュニケーションも不得手で、売買行為には参加できずにいた。それでも、この児童は掃除役として、「お店屋さんごっこ」に、「参加」していたのである。

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2020年より、新しい学習指導要領が全面的に実施され、学校の授業風景も大きく変わる。その目玉が「アクティブラーニング」または「主体的・対話的で深い学び」である。活動や議論などを採り入れて、子どもの主体的な学習や思考力・判断力・表現力を高める教育をめざすものである。

 

「アクティブラーニング」を謳った本や雑誌が多数刊行され、マスメディアでも、期待をもって報じられている。学習塾や予備校は、その需要を見越して、考える力やコミュニケーション能力の向上を謳った授業や講座を開設し、さかんに宣伝している。

このアクティブラーニングは望ましい実践であり、改革なのだろうか。いつのまにか、私たちはそれを好ましい教育や学習だと考える「アクティブラーニング幻想」に囚われているのではないだろうか。

アクティブラーニング――学校教育の理想と現実』(講談社現代新書)は、明治期以来の学校教育で、たびたびおこなわれてきた〈アクティブラーニング〉の実践に注目し、それらが必ずしも実践者や政策立案者の思惑通りにならなかった要因を批判的に検証している。

今回の改革にも、さまざまな問題や課題が山積している。

文部科学省によれば、これまでの一斉授業や受け身で知識を習得するだけでは、これからのグローバル社会や知識基盤社会、または先行き不透明な未来社会には対応できないのだという。そのために、主体的な学びや活動・議論などを採り入れた授業が提案されるようになったというわけである。

しかし、ほんとうにそれが可能だろうか。未来に対する根拠のない不安を煽っているように映る。

「アクティブラーニング」という幻想

文部科学省主導に見える教育改革も、その背後から大きな力が強く働いて、教育界を突き動かしているという。

ひとつは国民を動員し、国の発展を期する政界、もうひとつは、大学はじめ学校教育に対して即戦力に近い労働力の育成を求める財界(経産省、経団連)である。両者共通の狙いは、(文句や批判を言わずに)国の政策や方針に素直に従い、ひたすら長時間労働に耐え、国に利益をもたらす高度なグローバル人材の育成にあるのだろう。

しかし、その「人材」になれない子どもは将来、どうなるのだろう──冒頭で紹介した掃除役の女子児童を想起せずにはいられない。人工知能搭載のロボットが店内の掃除を担うことになれば、彼女は労働市場から締め出されてしまうかもしれない。