絵・米田​絵理

もし細胞が一軒の家だったら(1)

生命1.0への道 第5回
約46億年前に誕生した地球は、今から約50億年後、赤色巨星化した太陽に飲みこまれるという。つまり我々の惑星は、生涯の半ばにある。一方、そこに誕生した「生命」は、現在40億歳くらいだと言われている。

しかし太陽の明るさが今より10~15%増大する約10億年後、地球の海は干上がり、水蒸気の温室効果で気温は1000℃以上になってしまう。おそらくそこで、この惑星は不毛の世界となる。つまり地球の生命は、晩年にさしかかっているのだ。人間の一生に換算すれば、だいたい80歳くらいと言えよう。

それ故か生命は、我々人類の頭脳をもって、しきりと来し方を振り返るようになった。自分はどこから生まれ、どこへ消えていくのか?

絵・米田​絵理
その探求自体が近年、急速に進化しつつあり、場合によっては自ら生命を創造しかねない勢いだ――そう気づいた筆者も人生半ばをとうに過ぎた。置き去りとならないうちに、どこまでわかったのか、わかりつつあるのかを追いかけてみたい。

第4回の最後でお願いしたアンケートには、2月27日現在で13件の回答をいただいている。歴史上、初めて観測された恒星間天体「オウムアムアの正体は?」という質問に、「細長い形をした単なる岩」が69.2%(9人)、「異星人が放った探査機または「種まき」装置」が23.1%(3人)となっている。「異星人の宇宙船」はゼロだった。ブルーバックスの読者に「葉巻型UFO」のファンは、いないのだろうか。

クロマニョンの岩陰とチムニーの窪み

このところ話題になりやすい明治維新のころ、ちょうど150年前、1軒のホテルがフランス南西部、ドルドーニュ県のレゼジー・ド・タヤック村に開業した。そして今でも営業している(写真1)。壁面に太い蔓性の木が這っている、というよりは食いこんでいるような趣のある建物だ。

その名は「オテル・ル・クロマニョン」――何というロマンチックな響きだろう。宿泊はしていないが、このホテルのレストランで土地の名物セップ茸(ポルチーニ)のオムレツとジャガイモのつけ合わせを食べたことがある。素朴な味わいだが、濃厚でとてもうまかった。

写真1オテル・ル・クロマニョン

クロマニョンというのは、そもそもは地名だ。ホテルのすぐ裏手にある断崖直下の窪みから5体の化石人骨が出てこなければ、こんな片田舎の一画が世界的に知れ渡ることはなかっただろう。

人影もさほど多くはなく、静かで落ち着きのある村里だ。その遺跡もまた拍子抜けするくらい「普通の」岩陰で、土産物屋が並んでいたり「顔ハメ」が置かれていたりすることもなかった(写真2)。

形ばかりに炉の跡が再現されていたものの、あとは記念のプレートと説明板が1枚あるだけだ。とても教科書に載っているとは思えない。

写真2クロマニョン人が発見された岩陰遺跡(3点とも)

ご存知と思うが、ここでホテルの創業と同じ1868年に発見されたのは、化石現生人類と認められた最初の人骨であり、我々「新人」あるいは「ホモ・サピエンス」にとって最も有名なご先祖様のお骨である。すなわち「クロマニョン人」――このあたりの土地で約3万年前に暮らしていた。

レゼジー・ド・タヤック村は「先史時代の主都」と自称しているが、故なきことではない。クロマニョン人たちは周辺の岩陰や洞窟にも多くの骨とともに石器や彫刻、そして壁画を残していった。そのうちで最も有名なのがラスコー洞窟であり、他にも壁画のある洞窟がいくつか分布するヴェゼール川流域の渓谷一帯は、ユネスコの世界遺産に登録されている。

今日、ホモ・サピエンスの起源は20万年以上前、場合によっては30万年前にも遡るとされている。つい最近はイスラエル北部で発見された現生人類の化石が、約18万年前のものと報告されて話題になった。とはいえクロマニョン人はコーカソイド人種(白色人種)の原型とされ、ヨーロッパに広がった現生人類の直接の祖先であることは、ほぼまちがいないだろう。

さて生命の起源と人類の起源とに、何か共通点はあるだろうか?

僕のような物書きは一見、無関係なものを強引に結びつけてしまうのが性というか、仕事みたいなところがある。それも、なるべくかけ離れたものを、面白おかしいストーリーで勝手につないでしまうのが楽しい。

また、そうすることで物事が理解しやすくなった(気がした)り、小難しい細部に振りまわされることなく本質が見えてくる(気がする)こともある。要するに「譬え話」だ。

生命を譬えるのに比較的よく使われていると思うのは自動車である。

直感的に細胞膜は、車で言えばボディ(車体)だろう。生命活動に必要なエネルギー源、ATP(アデノシン三リン酸)を生みだすミトコンドリアは、エンジンに相当する。ミトコンドリアは「細胞の発電所」とも呼ばれる。

そして細胞内でさまざまな化学反応(物質の合成・分解、輸送など)を促す酵素(主成分はタンパク質)や、タンパク質をつくるリボソームなどは、エンジンの出力をタイヤに伝えるクラッチやギア、シャフト、車軸といった駆動系に当たる。

車を安全かつ滑らかに動かす制御系には、すでに多くのコンピュータが組みこまれており、これが最近注目のAI(人工知能)に進化して、自動運転も可能になろうとしている。となると細胞の核あるいはゲノム(遺伝子のセット)は、車であれば制御系と言えそうだ。

どの生物の教科書にも載っている細胞の構造図を見ていると、まるで時計のように精緻だと感じる(図1)。だから同じく複雑な機械である車に見立てるのも悪くないと思うのだが、もちろん、この譬えには限界がある。

まず自動車は分裂して増えたり、子供をつくったりはしない。また登場した時からエンジンと四つのタイヤ、ハンドルといった基本構造は現在とほぼ同じで、洗練されはしたが進化したとは言い難い。

当然、合体して「多細胞化」することもなかった。何より車は特殊車両でもないかぎり、走るしか能がない。もうちょっとマシな譬えはないものだろうか。

図1動物の細胞(イラスト・金井裕也 ブルーバックス『新しい人体の教科書 上』より)

ここで僕がふと思いだしたのは「○○に命が宿る」というフレーズである。

○○には、もちろん「母体」とか「胎内」を入れてもいいが、「人形」や「彫刻」でも違和感はない。多分に東洋的な言いまわしで、文脈によっては何を当てはめてもかまわないはずだ。

逆に言うと、命というのはどこかに「宿る」ものなのだという暗黙の了解が、背景にある気がする。「宿る」はもともと「屋取る」の意味だ。「屋」とは「家屋」つまり「家」のことである。

であれば自動車より前に、まず細胞と家との共通点を考えてみてはどうだろう。そこから生命の起源や進化について、見えてくることはないか?

クロマニョンの岩陰で見つかった人骨は、成人男性が3人と成人女性が1人、そして新生児が1人だったらしい。彼らが家族だったのかどうかはわからないが、少なくとも一時期は一緒に暮らしていたのだろう。彼らが身を寄せ合っていた狭い岩陰こそ、最初の「家」だった――そう言っても、おそらく異論はあるまい。

柱や床はないが、少なくとも頭上には岩の屋根が張りだしており、奥には抉れた崖の壁があった。周囲に何も遮るものがない場所よりは安全で、雨風もしのぎやすかっただろう。そこに彼らは炉をしつらえ、暖をとったり、バイソンやオオツノジカの肉を焼いて食べたりした。つまり炉は「家」の中で、エネルギーを供給していたのである。

満腹になったクロマニョン人たちは、赤々とした火のそばで石器をつくったり、毛皮を縫い合わせたり、ときには壁に絵を描いたりもした。

実は生命の誕生においても「岩陰」は重要だった可能性がある。もちろん、この場合はミクロサイズの岩陰で、鉱物表面の窪みや割れ目、隙間といった場所だ。これは海底の熱水噴出域と陸上の温泉地帯のどちらでも等しく存在する。

僕は「しんかい6500」で鳩間海丘から採ってきたチムニーのかけらを持っているが、それを虫眼鏡で眺めれば、スポンジ状に無数の小さな穴が開いているとわかる。顕微鏡なら、おそらく細胞くらいの穴や窪みも見えてくるだろう。それは白墨のような炭酸塩のチムニーなのだが、硫化鉄が沈殿してできたチムニーでも同じらしい(写真3)。

また第3回でちらりと触れた通り、熱水に含まれる硫化鉄が海水に混じると小さな泡のような構造(細胞サイズを含む)をとることが知られている(写真4)。

写真3無数の穴がある硫化鉄のチムニー(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1693102/pdf/12594918.pdf
写真4熱水中の硫化鉄が海水に混じってできる泡のような構造(https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC1693102/pdf/12594918.pdf

これがチムニーのような熱水の通り道に形成されることもあるはずだ。そういったミクロの岩陰で、生命の歴史が始まった可能性はあるらしい。

そもそも鉱物の表面はさまざまな物質がくっついて集まりやすく、化学反応も起きやすい場所となっている。とくに硫化鉄など金属とイオウの化合物には弱いながらも酵素のような触媒作用があって、エネルギーを生みだす反応が進むことがある。

たとえ水中であっても、そういう「表面」であれば、アミノ酸からタンパク質へ、あるいはヌクレオチドから核酸へといった「脱水重合」も不可能ではないらしい(必ずしも実証されてはいないが)。さらに表面がすべすべではなく凸凹していれば、窪んだところなどに物質が溜まって濃縮され、重合も進みやすそうだ。

そういう場所が長期間維持されるようなら、そこではミトコンドリアがATPを生みだし、それをもとにリボソームがタンパク質を合成するような細胞の機能が、部分的に実現しているとみなすこともできる。「半生命」の存在を許す人なら、その細胞サイズの窪み自体を「生命0.0001」とか「生命0.1」などと呼ぶかもしれない(注1)。


というわけで家の起源と生命の起源とには、おおむね外界から仕切られた空間があって、内部にエネルギーを生みだすシステムがあり、それによって何かがつくりだされていた、という共通点がある。その後の進化では、どうだろう。

注1) 実は最近、サンフランシスコの「ザ・シダーズ」と呼ばれる場所の湧水から、DNAやアミノ酸、そしてATPの合成に必要な遺伝子さえ持ち合わせていないという、奇想天外な細菌が発見された(http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20170721_2/)。どうやってATPなしにエネルギーを得ているのか不思議だが、これらの細菌は岩石の破片に集まって、くっついているらしく、その岩石表面で生じている化学反応を利用している可能性があるという。となれば、まさにミクロな岩陰に誕生した生命(あるいは半生命)の一面を、今に伝えているのかもしれない。