右から3番目がチャップリン。その右隣が「秘書」(Photo by gettyimagess)
エンタメ 週刊現代

喜劇王チャップリンがもっとも愛した「日本人秘書」の波乱の人生

運転手から大出世を遂げたが…

その名も、高野虎市

トレードマークのちょび髭をたくわえ、山高帽をかぶり、ステッキ片手に闊歩する―。20世紀を代表する喜劇王、チャールズ・チャップリン(1889年-1977年)の名前を知らぬ人はいないだろう。では、彼が右腕として絶対の信頼を置いていた秘書が、日本人だったことはご存知だろうか。

その名も、高野虎市。1885年に広島で生まれ、15歳で移民としてアメリカに渡った。

ロサンゼルスに住んでいた高野は、チャップリンが運転手を募集していることを聞きつける。面接に訪れると、「君は運転ができるの?」とだけ問われ、その場で即採用された。

いつ何時、どこに行きたがるかもわからないチャップリンの運転手を務めるのはなんとも骨の折れる作業だったが、生来の真面目さで忠実に仕えた高野は、チャップリンに気に入られていく。最終的には、秘書として撮影所の管理から、家の切り盛りまですべてをまかせられるまでに出世する。

チャップリンの高野に対する信頼は並大抵でなく、1年半におよぶ世界旅行に出た際は、高野一人だけを最後まで帯同させたほど。チャップリンにとって、高野は部下にして、もっとも気の置けない友人だったのだ。

 

だが、ふたりの別れは唐突にやってくる。ある日、高野がチャップリンの当時の内縁の妻の浪費癖を指摘したところ、妻と高野は大喧嘩に。そもそも彼女のことをよく思っていなかった高野は、チャップリンの再三の慰留を振り切り、秘書を辞めてしまう。

その後、帰国した高野はチャップリンと二度と会うことはなく、故郷の広島でこの世を去った。

'72年、スイスに住んでいたチャップリンは、アカデミー名誉賞受賞のために、20年ぶりにアメリカに降り立った。この時、黒柳徹子が面会に成功している。

チャップリンは、着物姿の黒柳の手を握りしめると「ジャパン!」と叫び、突然泣き出したという。高野と過ごした日々の思い出に、浸っていたのかもしれない。(岡)

『週刊現代』2018年3月10日号より