不正・事件・犯罪

元朝日新聞記者が執念で描いた「赤報隊事件のひとつの真実」

30年間、犯人を追い続けて――

圧倒的な取材量

記者は「書いて記録を残すこと」が仕事である。そのために取材を積み重ね、記事にして社会に訴えかけて喜びを得る。

だが、朝日新聞の樋田毅記者が、記者生活の大半をかけて取り組んだのは、猟犬のように犯人を追い詰める取材だった。

赤報隊事件――。

1987年5月3日、朝日新聞阪神支局を散弾銃を持った男が襲い、当時、29歳の小尻知博記者を射殺、42歳の犬飼兵衛記者に重傷を負わせた。犯人は「赤報隊」を名乗り、その後、全国の朝日新聞施設を襲撃、爆破未遂を重ね、首相への脅迫状などにも拡大、延べ62万人の捜査員が投入されたものの、15年前に公訴時効を迎えた。

 

樋田氏は、事件発生直後から特命取材班に参加、16年間、犯人を追い続けた。時効を機に取材班を解散しても本業の合間を縫った取材を重ね、その執念の取材過程は、今年1月27日、NHKスペシャル未解決事件ファイル「赤報隊事件」で、草彅剛が樋田記者役を演じて広く知られるところとなった。

「見えない赤報隊」を追い続けること、それを記録(記事)にせず、ひたすらファイルに溜め込む作業は、生半可な思いではできない。しかし樋田氏は、それを定年延長後の再雇用となっても続け、昨年12月、退職した後、その“成果”を『記者襲撃』として、2月21日、上梓した。

思いを秘めるタイプの樋田氏は、赤報隊が見えないままである以上、「成果」とは決して言わない。だが、同僚・小尻記者の死を決して無駄にはしないと、全国に手がかりを求めて歩き、時に悪態をつかれ、危険な目に遭いながらも続けた作業の“成果”を、こうして書籍の形で残すことは、国民にとっても必要なことだった。

犯人は特定されていない。ほのめかしもされていない。樋田氏の追跡を、読者は“後追い”しつつ、「反朝日」の感情を隠さない集団や人物と対峙することで、日本の一断面に接することができる。同時に、30年の歳月は、保守化するジャーナリズムの歴史でもあり、朝日バッシングのなか、事件を捉える目も微妙に揺らいでいる。

朝日新聞の新人社員研修で、襲撃された部屋で行われる樋田氏の講義は、毎年繰り返されたが、既に、事件は「新人たちの生まれる前の話」であり、「歴史」となった。人も社会も変化する。だが、「言論に対するテロは許されない!」という思いに貫かれた樋田氏の30年の取材過程もまた、「歴史」として刻まれるべきだろう。

――30年の取材量は圧倒的です。蓄積されたデータは生かされましたか。
「分量という意味では、使われなかったものの方が圧倒的です。私のもとには、取材メモや資料類だけで300冊分のファイルがあります。使用したのは1%にも満たない」

――書き切れなかったという思いが残りましたか。
「いえ、表にすべきだと思った情報の6~7割は書きました。もちろん実名で書けないなどの制約はありましたが、それは仕方のないことであり、最初から覚悟していました」

インタビューに答える樋田氏

――第一章で事件の概略を伝え、第二章では物語形式で経過を説明したのはなぜですか。

「30年という年月は長く、赤報隊事件といっても知らない人が少なくありません。そんな方に理解をしてもらう工夫のつもりで、犯人グループを2人にして、私が長年考え続けた推理を、物語にして展開しました」

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら