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五輪

冬季五輪を観戦してると、私たちの心を「邪念」がチラッとかすめる件

夏季五輪との決定的なちがい

五輪観戦で私たちが送る「念」

平昌オリンピックは終わった。

いつになく獲得メダルが多く、盛り上がった。

オリンピックは、メダルを取るかどうかに興味が集中する。

3位以上しか表彰されないのだから、そこに入るか入らないかという興味だけで中継を見るのは、しかたないことだろう。

そういえば、4位から8位の〝入賞者〟がどういうふうに表彰されるのか、報道で見たことがない。だからまったく知らない。

賞状くらいはもらってるんじゃないかとおもうが、映像がないということは、セレモニーはないのだろう。事務所の机に置いてあるから各自もってって、なんて感じなのかしら(ちがうとおもうが)。

だから、メダルを取ってくれ、と願いつつ見ることになる。

私はそうである。日本選手がメダルを取らないかな、と強く念じて見ている。多くの人もそうだろう。

私は、1964年の東京オリンピックの水泳競技のときからそうで(水泳競技の最後の最後に1つ取っただけ、というのが6歳のときの記憶である)、54年たっても同じ気持ちで見ている。

(どうでもいいことながら、東京オリンピックのマラソン競技で国立競技場に入ってから円谷幸吉選手が外国人選手に抜かれ3位に落ち、そのまま引き離される姿を、泣きそうな気持ちで見ていたのもすごく鮮明に覚えている。妙なことを覚えているものである。)

力を入れて見ていると、見てるだけなのにとても緊張する。

そしてこの緊張が冬季オリンピックと夏季オリンピックでは、ちょっと違っている。

冬季のほうが疲れる。

競技形態の差である。

 

心をよぎる「邪念」

新しい種目では少し変えられてきているが、本来のスキー、スケートの個人種目は、1人(ときに2人)ずつ順に滑っていき、そのタイムで結果が決まる。 

最後の選手のパフォーマンスが終わらないと、順位が確定しない。マススタートなどの並走競技が近年、増えてきたが、昔ながらの競技は最終競技者の結果を待つのがふつうである。

だから自国選手が出たときは「転ばないで」と念ずるし、自国選手が3位以内でパフォーマンスを終えると、残りの選手たちのパフォーマンスで「自国の選手を抜かないで」と祈ることになる。

羽生結弦選手のフィギュアスケートも、高木美帆、小平奈緒選手のスピードスケートでも、平野歩夢選手のスノーボード・ハーフパイプも、高梨沙羅選手のジャンプでも、そして宮原知子選手のフィギュアスケートでもそうだった(モーグルの原大智選手は最終滑走だったので、ただ頑張れと応援できて、ちょっと楽だった)。

「抜かないで」というのはやさしい言い方である。

正直な言葉でいえば「失敗して」である。あからさまに言うなら「転べ」となる。

ちょっと言葉が激しくていけませんね。「転倒してくださりませぬか」あたりでどうでしょう。願ってる内容は同じだけど。

転べ、と祈ってしまう。

学校の先生や、クラスの委員長(女子)に怒られそうな邪念である。

こけないだろうか、少し失敗しないだろうかと心の底で願いつつ、他の選手のパフォーマンスを見続けることになる。

それが冬季オリンピックの応援である。

新生・ブルーバックス誕生!