撮影/大河内禎
エンタメ 週刊現代

仲間の追悼の声とともに振り返る、大杉漣さんの「愛された生涯」

いくらなんでも早すぎるよ…
また一人、名俳優がこの世を去った。大杉漣さん。誰からも愛されたその生涯を、2月26日発売の週刊現代が多くの写真とともに振り返っている。

衰えは一切感じられなかった

週刊現代編集部が最後に大杉漣さんを取材したのは2年前、64歳のことだ。

「60を超えたらガクンとくるぞと、周囲の人たちから脅かされてたけど、僕は大丈夫ですよ。確かに、以前は30回くらいで台詞を覚えられたのに、それが出来なくなった(笑)。だったら100回で覚えられれば良し、と。ストレスはまったくないんですよ」

そう語る大杉さんの容姿にもバイタリティーにも、衰えは一切感じられなかった。

撮影の合間には、大好きだというサッカーのボールを自在に操る姿も。本誌記者に「君もサッカーやるの?」と声をかけ、すかさずパス。時間にしてわずか数分の出来事なのに、ぐっと距離が縮まっていく。優しい人柄と細やかな気配り。大杉さんと接した誰もが彼を好きになる理由がよくわかった瞬間だった。

 

また一緒に仕事がしたかった

2 月21日、急性心不全により、大杉さんは66年の生涯に幕を下ろす。出演中のドラマ『バイプレイヤーズ』のロケ先での、あまりにも唐突な出来事だった。

(C)「バイプレイヤーズ2018」製作委員会

タイトル通り、名バイプレイヤーとして「300の顔を持つ男」の異名を持つ大杉さん。その生涯に触れた仕事仲間は今、何を思うのか。映画監督の周防正行氏が振り返る。

「漣さんには、僕の監督デビュー作で主演を務めていただきました。当時の漣さんはまだ33歳。それなのに60 代の父親役を演じてくれなんて、無茶なお願いをしたのです。しかも丸5日間、徹夜続きでの撮影。後日知ったのですが、撮影中、息子さんがご病気だったそうです。でもそんな素振りも見せず、役に徹してくださった。昔も今も、すごく信頼できる人なんです」

あくなき演技への情熱は、下積み時代からすでに周囲の目に焼き付いていた。俳優・竹中直人氏もその一人。

「僕も周防さん同様、自身の初監督作品で大杉さんに出ていただきました。常に低姿勢ながら、アイデアマンで。『こうしたらどうでしょうか?』という大杉さんの言葉に何度も助けられましたよ」

その真摯な姿勢は人との接し方にも繋がっている。そう語るのは、俳優の國村隼氏だ。

「数年前、私が韓国で映画の撮影ロケに入っていた時、偶然、漣さんも初めての韓国映画のロケをされていて。日本とまったく異なる環境に戸惑うことばかりだったんですが、そんな時に漣さんから『同じ国で隼さんも頑張っているから、自分も頑張れる』という内容のメールをいただいて。それがすごく力になった。こういう気遣いのタイミングの良さが、漣さんの魅力なんだ、と。今あらためて思います」

漣さん、早すぎるよ――。

予期せぬお別れに、追悼の声がやむことはない。

[画像]3月10日発売週刊現代表紙

2月26日発売の週刊現代は、このほかにも次のような切り口で社会の裏側に迫っている。
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