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「親と一緒に死ねばよかったのに」戦災孤児がいまも抱く哀しい記憶

東京大空襲の日に振り返る

「ここでたくさんの遺体が焼かれたんです」

東京・上野は昔も今も日本屈指の観光地だ。最近はさらに、上野動物園でパンダの赤ちゃんが生まれ、メディアで取り上げられることが多い。筆者はここ10年、年に数回上野を訪れる。東京大空襲の取材だ。73年前に終わった昔話でしょ?と思う読者がいるだろうか。

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筆者がまず訪れるのは、西郷隆盛の銅像前。記念撮影スポットだ。行き交う観光客たちに、筆者は語りかけたくなる。「70年あまり前、ここでたくさんの遺体が焼かれたんですよ。この西郷さんの銅像の脇で」と。

第二次世界大戦末期の1945年3月10日。米軍の戦略爆撃機B29およそ300機が、東京・隅田川沿岸の街を襲った。2時間ほどの爆撃で10万人が死んだ。「東京大空襲」だ。
以前本欄で書いた通り(日本人が決して忘れてはならない「大空襲と遺骨」の話)、当時東京都が1日に焼くことができる遺体は500体だった。

 

10万もの遺体は到底処理できなかった。このため公園や学校、寺、空き地などに仮埋葬したこともそこで書いた。

土葬もあったが、火葬される遺体もあった。被災地のあちこちで臨時の火葬場ができた。「西郷さん」の銅像脇はその一つだ。筆者はここに立つたびに、野焼きされた人たちの無念を思う。

銅像脇から公園内を北東へ歩く。桜並木。春になれば花見の名所としてにぎわう。かいわいには大空襲後、多数の遺体が並べられた。遺族らに引き取られた遺体もあるが、そうではない遺体も多かった。

十数分。JR鶯谷駅近くに着く。ここは遺体が仮埋葬されたところだ。その数は8386体に上る。正確に言えば、これは戦後掘り起こされた数だ。何体埋めたか記録はない。今でも埋まっているだろうと、筆者は考えている。

ともあれ、上野公園で花見やパンダ見物を楽しむ数千あるいは数万の人々のうち、公園内に臨時の焼き場があり、仮埋葬地がなされたことを知っている人は、おそらくほとんどいないだろう。

しかし、何の罪もない人たちが戦争で殺され、死後の人権さえ踏みにじられたことを、忘れていいはずがない。せめて後世の私たちが記憶に留め、心の中で追悼しなければならないと思う。

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