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週刊現代

読書嫌いだった小説家を夢中にさせた『幽霊』という本の魅力

今野敏「わが人生最高の10冊」

夢中になりすぎて電車を乗り過ごした

子供の頃は読書嫌いで、本を手に取ったことはほとんどありません。というのも、実は漫画家になりたかったので、ずっと漫画ばかり読んでいたんですよ。だから、本格的に読書をし始めたのは中学1年のとき。僕の誕生日に同級生が北杜夫さんの『幽霊』をプレゼントしてくれたのがきっかけです。

とにかく文章がきれいで印象的なフレーズもたくさんありました。ただ、主人公の過去の心象風景を遡って細かく描くことを主題とした作品だったので、当時の僕には何が書かれているのか完全には理解できなかったんですよね。

でも、学生の頃の読書って背伸びして難解なものを一生懸命に読むものだと思うんです。そういう意味で、『幽霊』は作品として非常に良質なものだったので、最初に読んだ本としては大正解でした。

どくとるマンボウ航海記』も北さんの作品ですが、さすがお医者さんが書いたものだな、と。ユーモアエッセイではあるけれど、どこかハイソサエティなムードが漂っている。

内容は、水産庁の漁業調査船に船医として乗り込んだときの航海記ですが、独特のユーモアと、ときに文明批判を織り込んでいる。文章が抜群にうまくて、ものすごく神経を使って書いているのがわかるんです。

それに読者との距離感がいい。読者に寄りもせず、突き放しもしないという手法は、よほど緻密な計算の上で成り立っているんだろうなと思います。

3位の筒井康隆さんの『宇宙衞生博覽會』は、若いころに友達から「読んでみろ」といわれて読んだんですが、いやあもう圧倒されましたね。

奇病にまつわる8つの短編すべてに筒井さんのエッセンスがよく出ている。こういうタイプの小説は自分にはとても書けない。読む作品がどれも面白くて、読書嫌いを読書好きにさせる力が筒井さんにはあるんですよね。読みふけってしまって電車を乗り過ごしたことがあるのは、筒井さんの本だけです。

文壇のタブーを描く『大いなる助走』のような作品を書いちゃうところもすごい。誰にでも喧嘩を売るぞ、という筒井さんの姿勢は大好きですね。筒井さん好きが嵩じて彼が選考委員だった文学賞に応募したんですが、そこで新人賞をいただきました。筒井さんからは手紙で褒めていただいて、すごく嬉しかった。そのときの手紙は今でも額に入れて飾ってあります。

誰もマネできない大藪春彦の小説

大藪春彦作品はほとんど読みましたが、1冊選ぶとすれば『野獣死すべし』です。とにかく展開がスピーディ、そしてセンチメンタリズムが一切なく、物語がどんどん進んでいく。

また、物に対する執着が強くて、銃器などがどの年代の何製でなど、詳細に書かれています。普通はそういった細かい描写は読んでいるとうんざりするんですが、大藪作品では全体の流れを損なわず、むしろリアリティというか臨場感を増す大切な要素になっている。

 

このことは普通の小説にはない不思議な現象で、大藪さん以外誰にもマネできない。人物描写も魅力的で、りんごを食うってだけの動作もそりゃあカッコいいんですから。

小説は、プロットとキャラクターとエピソードの3要素でできているんですが、『タイタニックを引き揚げろ』はプロットの作り方の勉強になりました。海底の豪華客船を引き揚げるという大胆なストーリーなんですが、そこには説得力のある時代背景が用意されていて、ちゃんと物語が作り込まれている。

そのプロットを引っ張っていく主人公ももちろん魅力的で、利用できるものは何でも利用するという並外れた実行力を持ったタフガイ。こういうタイプは一見、冒険小説の主人公の典型ではあるんだけれども、女性には弱く、障害を乗り越えるときには周囲が驚くような才知を発揮する。そんな一面も持っているので読んでいてもまったく飽きない。

『容疑者は雨に消える』は、ヘイスティングス警部シリーズの一冊ですが、この作品を読んだのがきっかけで『安積警部補シリーズ』を書き始めたほど影響を受けました。登場人物のキャラクター性も、かなり参考にさせていただきました。

僕は漫画好きですが、我々が読んできた世代の漫画家は漫画を読むのではなく、むしろ読書量が多いんですね。

アニメの世界でも、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季さんしかり、僕の知り合いの押井守さんも大の読書家です。やはりジャンルを問わず、新しいものを作ろうと思った時には、読書って不可欠なんじゃないか、と思います。(取材・文/大西展子)

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