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日本で急速に進む「宗教の観光利用」の危うさに気づいていますか

「政教連携」なんていうけれど…
岡本 亮輔 プロフィール

埼玉県秩父市の三峯神社には次のような看板が立てられている。

同社が最近パワースポットとして知られるようになったことを紹介し、神木から「氣」をもらい、縁結びの木に祈り、恋みくじを引くことを勧めている。

パワースポット全部のせと言ってもよい。神社側が積極的にパワースポットという言葉を取り込んだ例として面白い。

 

「政教連携」が必要、とはどういうことか

首相の講演も含め、上に挙げたものは、いずれもパワースポットという新しい言葉を使うことで従来のイメージを刷新し、訪問者にアピールしようとするものだ。こうした事例は、観光化による宗教変容の一端を示すものとして興味深い。

しかし、たとえば「政教連携」という考え方については、さすがに慎重になる必要がある。

これは昨年夏、「インバウンド・ジャパン 2017」で行われたパネルディスカッション「神社仏閣インバウンドの未来~伊勢市モデルの可能性」で出た言葉だ。

パネリストの間で意見が一致したのは、地域にある神社仏閣がそれぞれ持っている物語性こそが最大の観光資源であり、その魅力を発信するために自治体と宗教法人が連携する「政教連携」の重要性だ。

パネリストとして登壇した伊勢市役所産業観光部の須崎充博氏が「市町村などの自治体は政教分離の原則を過度に恐れず、観光客の目線で必要なことは何かを考えて取り組むべき」と語れば、神社本庁教化広報部広報国際課の岩橋克二氏も「夏祭りや初詣でなど、多くの日本人にとって神社は宗教というよりも、精神に結び付いた伝統文化の場だ」として、伝統文化を伝えるという趣旨での「政教連携」が必要だと同調した(https://www.nikkei.com/article/DGXMZO19210460V20C17A7000000/)。

なぜ政教連携が可能になるかと言えば、「神社は宗教ではない」からだ。

上に続く文章では、神社本庁が海外で説明する際には「religion(宗教)」ではなく「Japanese faith(日本人の祈り・信仰)」という表現を用いることや、夏祭り・七五三・初詣などは「宗教である以前に、日本人の精神的な伝統文化」であるといった発言も紹介されている。

こうした主張は、パワースポットという言葉による宗教的脱臭化をさらに推し進めようとするものとも言えるが、他方、明治政府が国家神道を作り出した時に持ち出した「神社非宗教論」と通底する。

神社非宗教論とは、一見、神社を否定するもののように見えるが、そうではない。神社は宗教ではなく国民の道徳であり義務であると規定し、特別扱いしようとする主張である。

蒸し返される神社非宗教論

神社非宗教論は、戦後になっても間欠泉的に盛り上がり、その度に法学者だけでなく、宗教学者が注意喚起してきた。終戦から10年も経たないうちに、堀一郎は「神社神道の位置 復古調のお先棒排せ」(読売新聞1954年3月24日朝刊)を寄稿している。

堀は、神社界の指導者たちが神道信仰を発揚し、国民を教化し、政治や文化のあり方に対して神道の立場から主張するのは当然だとする。

しかし、「それが『夢よもう一度』といった安易な復古調のお先棒をかつぐ事であってはならず、さらにあやまれるナショナリズムの中心にせり出して、再び昔日の悔いを繰り返す」ことは戒めるべきだとしている。

堀がいう「夢」とは何か。簡単に言えば、明治期に神社が非宗教とされ、そうであるがゆえに政教分離に反せずに、事実上の国教として特権的位置に置かれたことだ。堀がこの論説を書いた当時も、神社非宗教論が蒸し返されていた。

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