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国際・外交

ホステスのタイ人妻に支えられる月収10万円男の「幸福とため息」

寂しき日本人たち②
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タイに渡り、コールセンターで働く日本人を取材し『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』にまとめたノンフィクションライター・水谷竹秀氏が描く、もうひとつの物語――。

「本当はイヤやよ、こんな仕事」

タイの首都バンコク中心部にある歓楽街、タニヤ通り。立ち並ぶ雑居ビルから突き出た店の看板は縦に連なり、まるで銀座のクラブ街を彷彿とさせるかのようだ。界隈は夜の帳が降りると、ネオンが煌々と灯り始める。路上では、露出度の高いドレスや看護師などのコスプレ衣裳に身を包んだ若い女性たちが、行き交う日本人男性に「カラオケドウデスカ?」と声を掛けていた。

午後11時すぎ。私はビルの3階に入居する店に入り、受付でとあるタイ人女性の名前を告げた。奥のひな壇にはホステスが数十人ぐらいいただろうか。間もなく現れたメイ(仮名、34歳)はロングの金髪で、瞳が大きく、胸元が強調されたピンクのドレス、ミニスカートをはいていた。案内された席に座り、自己紹介をして間もなく、彼女は日本語でこう語り始めた。

「本当はイヤやよこんな仕事。オトコいっぱいやし」

 

この店では普段、チーママという立場でテーブル席に付き、若いホステスと日本人客の間に入って日本語で仲立ちをするという。

「旦那さんが働いているコールセンターの給料が少なくて、子どものミルクとか家賃とか払わないといけないからお金が足りない。ウチがもうちょっと頑張って旦那さんを助けてあげたいの。だからここで働いて、給料をちょっとぐらいでも稼いで。ウチは日本語がしゃべれるから、家にいるだけじゃもったいないかなと」

子どもとは2年前に生まれた娘のことで、数年後には幼稚園に通うことから教育費についても今から気掛かりだという。

メイは自分のことを「ウチ」と呼ぶ。4歳年下の、日本人の夫の実家がある兵庫県に住んだ経験から、関西弁の訛りが今でも残っているのだろう。

コールセンターの事情については『だから、居場所が欲しかった。バンコク、コールセンターで働く日本人』にまとめたが、そこは日本から掛かってくる電話をひたすら受け続ける職場で、月給は3万バーツ(約10万円)。

その他の現地採用組と比較しても2万バーツ低く、バンコク邦人社会のヒエラルキーでは「最底辺」と位置づけられていた。そこで働く夫の収入では家計が苦しいからという事情で、メイは夜な夜なホステスとして働きに出ているのだ。

おまけに最近は、メイの母親や甥も地方からバンコクのアパートに転がり込んできたため、一家5人で生活することになった。これまで以上に負担が重くのし掛かり、とても夫の収入だけでは暮らしを維持できなかった。

「お母さんも一緒に住むようになったからいっぱい食べるでしょ? だからウチが仕事しないとあかん。でも旦那さんはこの仕事イヤだって。ウチがたまにオトコのお客さんとしゃべるから、浮気されるのが恐いって。旦那さんストレスで痩せちゃった。チーママの仕事だからと説明したけど……。今の生活は大変です」

リーマンショックを機に移住

メイはいつも午後5時に出勤する。その1時間半前にアパートを出てBTS(高架鉄道)に乗り、最寄りのサラデーン駅までやって来る。この界隈はゴーゴーバー(娼婦の連れだしバー)がひしめくパッポン通りにも近く、東南アジア最大の歓楽街とされていることから、特に夜は外国人観光客の姿が多く見られる。 

ドレス姿の女性たちは、ネオンが灯るタニヤ通りで客引きをしていた

店に到着するとメイは、メイクアップを済ませて接客に入り、終電ギリギリの午後11時半ごろまで働く。

「家に帰るとみんなもう寝てる。お腹すいたらウチが1人でご飯食べるの。すごい変やろ?」

朝は夫を見送るために午前8時に起床してコーヒーを入れ、再びベッドへ。時間が合わないため、晩ご飯すら娘と一緒に食べることができない。

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