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裏社会 政局 週刊現代

「夜の銀座」を仕切る男に一晩ついて回ってみたら…

この道50年、歩けば皆が頭を下げる

銀座の夜を創った男

どの街にも「顔役」と呼ばれる存在がいるものだが、日本一の街、銀座の顔役ともなれば、格が違う。

飲食店が櫛比し、座るだけで3万~5万円は当たり前のクラブが軒を連ねる歓楽街で一目置かれる男――本誌記者はそんな顔役の「夜のパトロール」に同行した。

取材場所として指定された並木通りのカフェに着くと、すでに着物姿の美女とダンディーな初老の男性が談笑していた。

「彼女は私が相談に乗っているお店の女の子。取材まで時間があると思って相談に乗っていたんだが、長引いてしまってね」

渡された名刺には「一般社団法人 銀座社交料飲協会(GSK)副会長 奥澤健二」とある。

「もう一線からは引退したので、自分では店をやっていないんだ。いまでは街の『相談役』といったところかな」

 

奥澤氏は伝説の一流クラブ「ロートレック」をはじめ6軒のクラブのオーナーを務めていた。氏をモデルに夜の銀座を描いた映画まで公開されたほどだ(松方弘樹主演の『銀座並木通り クラブアンダルシア』)。

夜の銀座事情に詳しい開業医が語る。

「バブル期のロートレックは本当にすごい繁盛ぶりだった。3つもフロアがあって広い店だったけれど、座れない客が廊下で立って飲んでいるほど。東日本大震災の直後に店を閉めましたが、あんなに華やかな店はもうないんじゃないかな」

そんな一時代を築いた奥澤氏もいまでは半ば隠居の身。それでも週に2回は夜の銀座に現れて「銀座を明るい街にする」活動に従事しているという。

「彼女は千葉から出てきたんだけど、4人兄弟の長女で、家計を支えるためにこの業界に入ってきたんだ。とても勉強熱心でね。月に一度はお茶を飲んで、仕事の相談に乗っているよ」

奥澤氏自身、故郷の群馬から「両親に楽をさせてやりたい」という一心で、銀座に出てきた。16歳の頃だった。家族のために上京し、生き馬の目を抜く業界で働く彼女にかつての自分を重ねていたのだろうか。

黒服としてスタートした奥澤氏は、誰よりも仕事をしたという。他の黒服より2時間も3時間も早く出勤し、前日の業務報告書をまとめてから一人で店を掃除した。他のスタッフが出勤する頃には、スカウトのために路上に立っていた。

銀座には、黒服上がりの叩き上げがたくさんいる。だが一財産成しても身を持ち崩す人間は後を絶たない。奥澤氏が半世紀にわたってこの街で活躍し続けることができるのは、その勤勉さゆえかもしれない。

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「そろそろ仕事だろう、気をつけて行ってきなさい」と女性を優しく送り出す。

「こうやっていろんな人の相談に乗っているんだ。実はこのあと銀座で働きたいと言う女の子と会う予定でね。一緒に店を回ろうかと思っているんだが、同行させてもいいかな」

そんな話をしている間も、奥澤氏の携帯はひっきりなしに鳴っている。

数分後、もともと中学校で教師をやっていたが、銀座で挑戦してみたいという女性が現れた。戸田恵梨香似のスレンダーな美人だ。カフェを出て、奥澤氏の夜のパトロールが始まる。

「おつかれさまです!」

道に出るや、街頭に立っている黒服の男たちが次々と奥澤氏に頭を下げる。表現は悪いが、まるでマフィア映画のワンシーンのようだ。

「俺は銀座に男を見にきているんだろうな。女は結局、生き残るためには客の取り合いをしなくちゃいけない。だから、どうしてもライバル同士で競争し、いがみ合ってしまう。

それに比べたら、男たちは協力して街を盛り上げようという余裕があるからね。今は10人くらい目をかけている男性オーナーがいる。彼らには将来、銀座を背負ってもらわないといけないし、頑張ってもらいたいと期待している」

そもそも奥澤氏が銀座社交料飲協会での活動を始めたのは、クラブ同士の過当競争を抑制するためだったという。

「昔は女の子の無茶な引き抜き合いが日常茶飯事だった。でもそんなことを続けていたら、店の潰し合いになって、結果的に銀座という街が寂れてしまう。私はそれを未然に防ぐために監視しているんだ」

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