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ライフ

養老孟司が死ぬ前に言っておきたい「たった一つの願い」

80歳の叡智がつまった『遺言。』

養老孟司さんの最新刊『遺言。』(新潮新書)が発売された。ひと冬籠って書きあげた完全書き下ろしの本書に、養老さんが込めた思いを語ってくれた。

 

人間と動物の違いとは

―『バカの壁』(新潮新書)以来、「語り下ろし」が続いていた養老さんにとって、本書は久々の書き下ろし。『遺言。』というタイトルのインパクトが目を引きます。

もともと自分で本を書くのは好きなんですが、ヒトは楽をしたい生き物ですから、ついつい語り下ろしで出す癖がついていた。でも、私ももう80歳。ほぼ平均寿命なので、言い残しておきたいことを書いておくのもいいのかな、と思ったんですよ。まあ、当面死ぬ予定はないですが(笑)。

―いわば集大成として書かれた本書ですが、そのテーマとして選ばれたのは「意識と感覚」。知的好奇心をくすぐられる思索が展開されます。

意識の問題については、若い頃からずっと考え続けてきたんです。解剖をやっていたせいでしょうね。あっち(死体)には意識がないけど、こっちにはある。刺激的なテーマだから、じっくり一冊書いてみようと。

「生き物は意識を持っている」ということを前提にして、「人と動物の意識はどう違うか」と、いろいろな事例を挙げて、具体的に考えていきました。

―数学でいう「a=bならばb=aである」。感覚に頼って生きている動物にはこれが理解できないという指摘は、当たり前のようでいて、斬新です。

例えば「朝三暮四」という言葉がある。猿に「どんぐりを朝に3つ、暮れに4つやる」と言うと少ないと怒ったが、「朝に4つ、暮れに3つやる」と言うと喜んだ、という中国の故事から、「結果は同じなのに、見かけにごまかされること」という意味がある。猿には、どちらも「同じ」ことだということが分からない。古代中国の人も、猿と人間のあいだの違いを知っていたわけです。

もう少し具体的に考えてみると、例えば、机の上に白いペンと青いペンがあるとする。感覚では2本のペンは別々の物体なのに、人間の意識は同じ「ペン」と判断します。

ナシとリンゴだって全然違うものなのに、同じ「果物」だとくくってしまう。こうした「同じにする」ことこそ、意識の働きなのです。一方、感覚のみに頼っている動物にとって、青のペンと白のペン、ナシとリンゴは絶対に「別のもの」なのです。

―なぜ意識は別々の物を「同じ」にまとめようとするのでしょうか。

これはね、脳がそうしようと思ったわけではなく、先に「同じにする」という能力ができちゃった。その典型が「言葉」です。我々は、目で文字を見ても、耳で言葉を聞いても、同じ日本語として理解できるでしょう。まったく異なる「視覚」と「聴覚」を同じものとして繋げたから、言語ができたのです。

機能的な説明をすると、人間の脳の視覚と聴覚の領域はかなり離れていて、その間の「連合野」という部分で、言語が発生する。ところが、チンパンジーなどの霊長類はこの連合野が狭いので、視覚と聴覚のそれぞれの独立性が高い。音と光をはっきり「別のもの」として分けるから、知覚への依存が大きくなるのです。一見、視覚と聴覚の領域が近いほうがくっつきそうな気がするけど、違う。そこが、情報系の面白いところです。

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