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時事ネタ読み比べ芸人が「文春砲」という言葉を嫌う理由

小室哲哉・小泉今日子会見に思うこと
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永遠の学級会

果たしてゴシップは必要か。

《週刊文春が放つスキャンダルのスクープ「文春砲」に逆風が吹いた。不倫疑惑を報じられた音楽プロデューサー小室哲哉さん(59)の引退会見を機に批判が殺到しているのだ。》(『東京新聞』1月24日)。

記事のタイトルは『「あら探し」文春砲 炎上』。一般紙でも論議されたのだ。

小室哲哉氏の「引退宣言」は、言ってみればサプライズを放ったことになる。人は自分の想像を超えた、思ってもみなかったことに直面すると驚く。感情的になり、たかぶる。SNSでは文春に対して感情をぶつける人が殺到した。

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『「文春砲」ツイッター、3000件を超えるコメント……炎上状態が続く』(『スポーツ報知』1月21日)

でも、こうして怒れば怒るほど「不倫」という言葉はますますパワーワードになってしまう。大ネタになる。だからやっぱり不倫報道は無くならないんじゃないかと思う。

すると、先週こんな話題があった。

『小泉今日子 不倫公表‼︎』(『日刊スポーツ』2月2日)

でかでかと1面である。

《歌手の小泉今日子(51)が1日、一部週刊誌で報じられた妻子ある俳優豊原功補(52)との交際を認め、自ら不倫関係を明らかにした。》

「世の中の不倫バッシングに対する、コイズミ流メッセージにも受け取れた」という記者の解説もあったが、会見内容をよく読むとべつに不倫を開き直っているのではなく、

「このようなことになりご家族にはおわびの言葉もございません」と先方の家族に謝罪をし、「事実ではない記事も多く、豊原氏の関係者の皆様にはご迷惑をお掛けしております」と乱れ飛ぶ報道に対して一言くぎを指している。

このようなことをわざわざ会見で言うのも「不倫」がパワーワードの今だからだろう。

ここでゴシップ好きの私から提案をしたい。

ゴシップ報道が無くならないなら、受け手側が変わるしかない。

だって自分たちの損だからだ。

昨年ゴシップ報道があった斉藤由貴はそのあとの会見の対応のマズさ(釈明でウソをついた)も含めて批判を浴び、決まっていた大河ドラマ『西郷どん』の降板を自ら申し出た。

これで損をしたのは誰か。

番組側は「この役にピッタリ」と斉藤由貴にオファーをした。つまり、最適であろう演技を見ることができなくなってしまった視聴者がもっとも損をしたのだ。私はそう考える。視聴者はよりよい娯楽を味わう機会を失ったのだ。

斉藤由貴のあやしさ(妖しさ・怪しさ)は普通の人と同じ生活をして出せるものとは思えない。常人とは異なる私生活も本業に反映されているはず。

だから「相変わらずお盛んですね」とニヤニヤしながら見るくらいでよかったのではないか?

「あの人は私生活はアレだけど芸はいいんだよねぇ」と視聴者はおいしいところだけを眺めてればいい。怒るのは当事者(家族やCMスポンサーなど)だけでいい。

 

私は有名人のゴシップはそもそも「絶対に」必要だと考える。

ここでイメージしてほしいのは会社やバイト先の休憩室だ。もしくは酒場。

そのような場所で皆が知っている有名人の話題をひとしきりして、でもどこか「こちら側」とは価値観が異なる「あちら側」に呆れながらも息抜きをする。そしてまた「さぁ仕事だ」とまっとうな日常へ戻ってゆく。

有名人のゴシップとは「あちら側」の人々に興味や憧れを持ちつつ、でもやっぱり「こちら側」の世界のほうがマシだよね、というある種の確認にもなる。下世話な潤滑油だと思う。

だからこそ問われるのは受け手の態度だ。正義や道徳をずっと問い続け、詰め始めたら、それは「永遠の学級会」になってしまう。

「小室君があんなことしてました」。彼が力尽きたら今度は「文春君が悪い」。永遠の学級会では延々と糾弾がぶつけられる。

そこまでせずにさっさと教室を出て各々の生活に戻るのがゴシップとのよりよい付き合い方ではないだろうか。あくまで休み時間の暇つぶしなのだから。

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