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ライフ 週刊現代

「さらばわが友、西部邁!」友人たちが語った無念

自殺は、止めようがなかった

「死ぬにも力がいるんだ」

評論家・西部邁氏(享年78)の入水自殺に、友人たちは驚きつつも、「やっぱり」という感想を一様に漏らしている。

「ついに決行されたか、と思いました。何年も自殺のことはおっしゃっていて、周囲が止めようにも、西部先生の動かぬ決意の前に、どうしようもなかったのです」と語るのは参議院議員の西田昌司氏だ。

西部氏が氷点下に近い多摩川に身を投じ、自殺したのは1月21日早朝のこと。だが本来、自殺を予定していたのは昨年の10月22日だった。

最後の著書『保守の真髄』は昨年12月に刊行された。あとがきに、その事情が記されている。「ある私的な振る舞いの予定日に衆院総選挙が行われると判明した。で、まず社会にかける迷惑はできるだけ少なくせねばならぬと考え」「事態の成り行きにもう少し付き合ってみるしかあるまい、と考え直」したというのだ。

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西田氏が続ける。

「10月22日については、解散総選挙があるから、というだけでなく『台風が来ているからできなかったんだよ』とも仰っていた。

台風と重なってしまうと、入水なのか事故なのかわからなくなるかもしれないし、遺体が海まで流される可能性がある。そういう事情で決行日を変えられたのだと思います」

知人から拳銃を入手する計画を立て、「ピストル自殺をする」方法を聞かされた友人も何人もいる。だが、あまりにも頻繁に自殺の話をするので、かえって周囲も本気にしていなかった節もある。

西部氏が8年にわたって看病した妻・満智子さんが逝去したのは'14年のことだ。同じように妻を看取った経験のあるジャーナリストの田原総一朗氏が語る。

「去年の10月に、ラジオ番組に出演してもらったときが、西部さんと会った最後になります。体調が悪く、辛そうで申し訳なかったんですが……。

人恋しい人で、寂しがり屋だったけれど、奥さんを亡くしてからは特にそうだった。西部さんは、自分の命に自分でケリをつけたんだと思う」

自身の体調は、確かに思わしくなかった。'13年には咽頭癌を患っていることを告白した。近年は利き腕である右腕の神経痛が激しくなり、前出の『保守の真髄』は自力での執筆ができず、口述筆記によって刊行された。

 

西部氏の自殺で、評論家・江藤淳氏の最期を思い起こした人もいるかもしれない。江藤氏は'99年7月、「心身の不自由が進み、病苦が堪え難し」と遺書を残し、自宅で手首を切って自殺した。前年に夫人を癌で亡くし、自身も脳梗塞の後遺症に苦しんでいた。

だが、西部氏の主宰する雑誌『表現者』編集委員で文芸評論家の澤村修治氏は、「病苦が西部さんの死を招いたというのは明らかに違う。江藤さんとはまったく違う死に方だと思います」と語る。

「昨年末に会ったときは、以前と比べて、むしろ元気な印象を受けた。以前から『死ぬにも力がいるんだ。本当に気力を失い、活力もなくなれば自殺もできない』と語っていました。

『人間は最後には死ぬ。病院で死ぬということは人工死であり、自分はそれを選びたくない』とも。己の『生と死』を己で一貫させ、意志的な生の終わり方をされたのだと思います」

西部氏は、前掲書『保守の真髄』にも、自死へのこだわりを、はっきりこう記している。

「自然死と呼ばれているもののほとんどは、実は偽装なのであって、彼らの最後は病院に運ばれて治療や手術を受けつつ死んでいくということなのである。換言すると自然死と呼ばれているものの最終段階は『病院死』にほかならないということだ。

(中略)病院死を選びたくない、と強く感じかつ考えている。おのれの生の最期を他人に命令されたり弄り回されたくないからだ」

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