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企業・経営 週刊現代

伊藤忠、みずほFG 、JAL…「社長交代」なぜあの人が選ばれたか

人事は実力だけでは決まらない

新旧社長が手を結び、笑顔を振りまく。選ぶほうも選ばれるほうも、つい先日まで、互いに疑心暗鬼にまみれていたのに――。最後まで何が起きてもおかしくない。だから人事は怖いし、おもしろい。

伊藤忠・'79年入社組の闘い

サラリーマンの出世模様は「双六」に喩えられるように、たった一度のサイコロの出目によって大きく人生が左右されてしまうところに喜びと悲哀が生まれる。

人事に「もし」はない、とは言われるが、もしあの時違う部署にいたら、もし違う上司に仕えていたら、もし入社年次があと1年違えば、自分の出世模様はまったく違った風景になっていたのではないか――。

このほど社長交代が発表された伊藤忠商事では、そうした想いが胸に去来した幹部が現れる結果となった。

今回、岡藤正広社長(68歳)から後継指名されたのは鈴木善久専務執行役員(62歳)だが、「通常通りの人事であれば、彼が選ばれることはなかった」とある伊藤忠幹部は言う。

では誰が本命だったのかと聞くと、「鈴木氏と同じく専務執行役員を務めている吉田朋史氏」と言うのである。

「伊藤忠では社長在任は6年という不文律があり、'10年に社長に就いた岡藤社長は2年前の'16年に社長交代しているはずだった。当時、鈴木氏は伊藤忠の役員をクビになって、子会社のジャムコに転じていた。

一方、吉田氏は伊藤忠内で順調に出世をして、稼ぎまくっていた。誰の目にもポスト岡藤は吉田氏だと映っていたが、岡藤社長はそのタイミングで社長交代をしなかった。2年前のあの時に岡藤社長が『決断』をしていたら、結果は違っていた」

 

鈴木と吉田――。

そもそもこの二人はともに'79年入社の同期。伊藤忠では'77年度、'78年度は経営不振の安宅産業救済などで大卒採用を見送ったことから、'79年組は「上」の人材がまるまる2年分空いている。そのため早くから抜擢される者が多く、「人材の宝庫の'79年組」と言われてきた。

「実際、ポスト岡藤の一人とされてきた福田祐士専務執行役員も'79年入社。同じく専務執行役員で、稼ぎ頭である繊維カンパニーを率いる小関秀一氏も'79年入社で、'79年組が現在の伊藤忠を中枢で支えているといっても過言ではないほどの人材揃い」(ライバル社幹部)

そんな'79年組ではじめに頭角を現したのは、じつは鈴木氏のほうだった。'03年、当時最年少の47歳で執行役員に就任。'74年入社の岡藤社長が初めて執行役員になったのが'02年なのだから、まさに大抜擢だった。

「当時は『40代の商社役員』としてメディアでも騒がれた。鈴木氏は'06年には常務に昇進し、'07年には社長の登竜門とされる伊藤忠米国法人の社長に就任。まさに順風満帆に出世街道を駆け上がった」(伊藤忠ОB)

一方の吉田氏はこの時、大きく出遅れていた。同期の福田氏が鈴木氏から3年遅れて'06年に執行役員に就いた際も昇格できず、吉田氏はさらに1年遅れ、'07年になってやっと執行役員に就いたほどだった。