昭和19(1944)年5月、三沢基地に並んだ第二五二海軍航空隊の零戦。左は五二型、右は二一型

女装をした者も…特攻直前、笑顔で写真に写った航空隊員らの「運命」

悲惨、なんて言葉で片づけてはいけない
終戦から50年たった1995年、零戦が日本の空を飛ぶというイベントをFRIDAYのカメラマンとして取材。これをきっかけに、500名以上の元零戦搭乗員、海軍関係者、遺族にインタビューを重ね、貴重な談話と一次資料の提供を受けてきた神立尚紀さん。今回とりあげるのも、歴戦の元搭乗員から提供された一枚だ。そこに写ってるのは、今から約100年前の日本に生まれ、ひたひたと戦争が迫りくる中で育った身体頑健な若者たちである。にこやかに笑う彼らを、その後どんな運命が襲ったのか――。

昭和19年、硫黄島決戦直前、若き搭乗員たちの笑顔

まずは写真をご覧いただきたい。

昭和19年5月27日、三沢基地、二五二空の隊員たち。

この写真、いつ、どんなグループを撮った写真かおわかりになる読者はいるだろうか。

みんなもう、相当酔っぱらっているであろうことは、色彩のない白黒写真からも伝わってくるから、酒席であることはわかる。楽しげといえば楽しげだが、なんだかやけくそな感じもする。襟の階級章を見て、旧日本海軍の軍人であることに気づいた人もいるかもしれない。だが、女性のような姿もあるし、軍隊で撮られた写真にしては、なんだか拭いがたい違和感が残る。

この写真自体は、いくつかの本に掲載されているから見覚えのある人もいるかもしれないが、間違った解説(おそらく取材ではなく想像で書かれた)が付記されているものが目立つ。だからちゃんと取材した上で、ここで通説の誤りも併せて正しておく。

正解は、昭和19(1944)年5月27日(土)、当時は休日だった海軍記念日に、青森県の三沢基地宿舎で撮られた、第二五二(ふたごおふた)海軍航空隊の司令、飛行隊長以下、零戦搭乗員の面々である。

軍隊の隊内だからあたりまえだが、女装している者もふくめ、全員が男である。顔が写っていない者もふくめ30名ほどが収まっているが、この写真に写っている隊員のうち、1年3ヵ月後、生きて終戦を迎えたのは3名だけである。

氏名が判明しているのは、前列左から、後藤喜一上飛曹、宮崎勇上飛曹、木村國男大尉、飛行隊長・粟信夫(あわ のぶお)大尉、司令・舟木忠夫中佐、花房亮一飛曹長。2列目右から2人目・桝本真義大尉、村上嘉夫二飛曹(女装)、勝田正夫少尉、成田清栄飛長、成田飛長の左上・角田(つのだ)和男少尉、角田少尉の上の化粧姿・若林良茂上飛曹、その右・橋本光蔵飛曹長。

舟木中佐以外は全員が、十代後半から二十代半ばの若者だった。

 

さて、通常の土曜日ならば午前中の勤務があるところ、この日は海軍記念日ということで、三沢基地では、隊員たちの慰労演芸会を催したり、一般客を基地内に招いて屋台を出したりする、いまで言うところの「基地祭」あるいは「オープンハウス」が予定されていた。

ちなみに「海軍記念日」とは、日露戦争時の明治38(1905)年5月27日、東郷平八郎大将率いる聯合(れんごう)艦隊がロシア・バルチック艦隊と戦い、一方的勝利をおさめた「日本海海戦」にちなんだ記念日である。

搭乗員の消耗に補充が追いつかない状況

二五二空は、昭和15(1940)年11月、朝鮮半島東岸の元山(現・北朝鮮)で編成された元山(げんざん)海軍航空隊戦闘機隊を母体とし、そこから昭和17(1942)年9月、戦闘機隊が独立する形で編成、改称された航空隊である。

南太平洋のラバウル、ソロモン方面の激戦に参加したのち、昭和18(1943)年には中部太平洋に転用され、マーシャル、ギルバート諸島に展開したが、同年秋にはじまった米軍の侵攻、なかでも米海軍が新たに投入した戦闘機・グラマンF6Fヘルキャットとのたび重なる交戦で壊滅状態に陥り、内地で再建をはかっているところであった。

昭和19(1944)2月、千葉県の館山基地で錬成をはじめ、さらに北方守備を担当する第二十七航空戦隊の指揮下に入り、3月末からは三沢基地で訓練に明け暮れている。

司令は、生粋の戦闘機乗りである舟木忠夫中佐。航空隊には戦闘第三〇二飛行隊が付属し、飛行隊長は粟信夫大尉、飛行機定数・零戦四十八機。搭乗員のなかには、支那事変以来、海軍戦闘機隊有数の戦歴をもつ角田和男少尉や、ラバウル、マーシャルの激戦をくぐり抜けてきた花房亮一飛曹長、宮崎勇上飛曹、若林良茂上飛曹らベテランがおり、戦況が悪化し、搭乗員の消耗に補充が追いつかなくなっていた当時としては充実した陣容だったが、これから訓練の必要な、実戦経験のない若いパイロットも多い。

飛行隊長の粟大尉は、海軍兵学校を六十九期生として卒業、昭和18年2月に飛行学生を卒え、蘭印(現・インドネシア)の第二〇二海軍航空隊に配属されたが、敵機にまみえる機会のないまま、二五二空に転勤となった。分隊長には、海軍兵学校七十期出身の木村國男大尉、桝本真義大尉が着任してきたが、2人とも実用機教程の飛行訓練を修了したばかりで、実戦部隊での勤務ははじめてである。

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