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KEIKOと同じ高次脳障害の僕が、小室哲哉不倫疑惑報道に感じたこと

彼を責めることなんて、絶対にできない
鈴木 大介 プロフィール

けれど不思議なのは、ひとりでは行動や作業の途中で思考が混乱してパニックに陥ってしまうようなことでも、信頼できる人がそばにいてくれるだけで、落ち着いてやることができるということだ。

やれない作業をまるっきり代行してもらわなくてもいい。ただそばにいてもらえるだけで、病前通りとはいかないまでも、やれない作業がやれるようになる。呼吸ができなくなるようなパニックに陥らずにすみ、モヤがかかったような頭の中が少しだけクリーンになる。

あの感覚は、どう表現すればいいのか。

例えば垂直な断崖絶壁にへばりつくような細道を震える脚で歩いている時に、崖側にガイドで張られたロープが現れてくれた、みたいな? 堕ちそうなときはそのロープにすがれば良いと思っているだけで、すくんだ足を一歩進めることができる。そんな感覚に似ている。

そして面倒くさいことに、信頼できない人がそばにいると、今度は頑張ってやれたかもしれないことがやれなくなる。一度信頼できないと思った相手には二度と頼れない。

だから、信じられるそのひとに、そばにいてほしい。そんな当事者の願いは、「依存性が高まる」とか「幼児化する」みたいにちょっと心外な表現をされることが多いが、少なくとも僕の場合は最も信じられる妻にその依存を向けたし、KEIKOさんにとっての小室さんもそんな存在だったのだと思う。

 

僕も高次脳になって歌えなくなった

恐らく僕よりも遥かに重い高次脳機能障害であろうKEIKOさんの苦悩もまた、想像するに涙ぐましい。小室さんはKEIKOさんが歌うことに興味を失ったと言われたが、そういえば僕もまた高次脳になって2年近くは、歌うことができなくなった。

僕の場合は口腔や鼻腔にマヒが残っていたから、微妙な声量や音程のコントロールが効かずに音痴になったというのもある。だがそれ以上に、メロディの優れた曲は、旋律そのものに溢れ出して来る涙を抑えることができず、とても歌うどころじゃない。

この感情の制御の難しさ=脱抑制症状は、高次脳機能に普遍的な症状だ。新しい歌を憶えようにも、よほど繰り返さない限り歌詞を記憶するのは困難で、病前に散々歌った歌詞も歌っているうちにどこまで歌ったのかが分からなくなり、続かない。

photo by gettyimages

加えて病後の僕は、音楽に合わせて、ドラムのリズムを指で追うということすらできなくなった。リズム感の喪失は、やはり高次脳に普遍的な症状である「脳の情報処理速度の低下」によって、脳が感知するリズムと手で刻むリズムがちぐはぐになったの結果だと思うけれど、手でリズムが刻むことすらできないのだから、単に4分音符を4分音符の長さで歌うことだって、とても無理だ。

「歌う」とは、非常に高次な脳機能がバランス良く働いて初めて可能になる行動なのだと、思い知った。

高次脳機能障害の当事者の不自由がどのように発現するかは極めて個別性が高いから、KEIKOさんが歌うことへの興味を失った理由は、僕とはまた違うだろう。けれど、きっと僕とは違う形で病前通りには歌えなくなったのだろうとは思う。

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