オランダ軍事史研究所所蔵写真
国際・外交

なぜ日本人PKO隊員は殺されたのか…警察官「23年目の告白」

真実がいま明かされる

2人の幼い子を持つ父親だった

ここに一枚の写真がある。

撮影日は、1993年5月5日。撮影場所は、カンボジア北西部の、タイ国境に近いニミット村。国連のヘリコプターの風圧で土埃舞う野戦病院のヘリポートで、オランダ軍兵士二人が、遺体を確認した後、木製の棺に納めた白いボディーバッグのチャックをしめている。

オランダ軍事史研究所所蔵写真

その奥に、棺に背を向けた長身の日本人警察官が崩れ落ちそうになるのを兵士が抱きかかえている。彼の名前は、山崎裕人という。当時40歳の警察官僚(警視正)で、日本が始めて本格的に参加したPKO(国連平和維持活動)の現場・カンボジアに、74名の部下を率いて赴いた日本文民警察隊の隊長だった。

この前日、山崎は、首都プノンペンのUNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)本部で、衝撃的な事件の報告を受け号泣していた。

 

1993年5月4日。日本はゴールデンウィークの真っ只中だった。東京・渋谷にあるNHKニュースセンターフロアでは、夜7時のニュース番組「ニュース7」を放送していた。番組の終了直前、午後7時24分、ニュースフロアが騒然となった。カンボジアからの一報だった。キャスターの桜井洋子が速報を読みあげる。

「今、入ってきたニュースです。カンボジア北西部アンピル地区で国連の選挙監視団が武装集団による一斉攻撃を受けまして、日本人の文民警察官1人が負傷したということです。日本の文民警察官1人が負傷したというニュース。今、入ってまいりました」

官邸、外務省、警察庁、国連、現地のカンボジア・・・・・・事実確認に追われる記者たち。10分後、負傷した警察官が死亡したとの続報が入ってきた。

亡くなったのは、UNTACに派遣され、現地で「文民警察官」として任務に当たっていた岡山県警の高田晴行警部補、33歳。2人の幼い子を持つ父親だった。

中央に写るのが高田警部補

冒頭の写真の棺の中で、永久の眠りについていたのは高田警部補、その人だった。

<2016年8月13日に放送されたNHKスペシャル「ある文民警察官の死~カンボジアPKO 23年目の告白~」をご存じだろうか。日本が初めて本格的に参加したPKOの地・カンボジアで銃撃を受けて亡くなったある隊員について、膨大な資料をもとに調査し、死の真相に迫った番組で、第71回文化庁芸術祭賞テレビ・ドキュメンタリー部門優秀賞、第54回ギャラクシー賞テレビ部門大賞などを受賞した話題作だ。

放送から1年半、番組では描き切れなかった細部や証言について、同番組のディレクターが『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』にまとめ、話題になっている。

旗手ディレクターはなぜこの番組を作るに至ったのか。そして、なぜ隊員の死の真相を描いておきたいと思ったのか。すべてを明かした――。

「隊長失格」

番組の取材は、当時日本文民警察隊の隊長を務め、20数年が経った今も部下を失ったことを悔いている山崎の告白からはじまった。

「全員無事で帰国することが100点」――派遣前から、その言葉を唯一最大の課題としてきた隊長の山崎は、現地で詳細な日記をしたため、それをもとに一冊の報告文書をまとめていた。その報告文書を三部作り、一部は警察庁に委ね、残りの二部を自分自身と父親で保管していた。山崎は折に触れて上司に公開してもよいか、かけあっていた。しかし、警察庁在任中にその許可がおりることはなかった。

私たちにその文書が託されたのは、安保法制の議論で揺れていた戦後70年の夏を迎えた2015年8月下旬だった。山崎が60歳で警察官を退職してから3年が経過していた。文書の表紙には、平成5(1993)年7月19日の日付と、「総括報告(未定稿)」の標題、右上に赤文字で「厳秘」と記されていた。文書をめくると、すぐに飛び込んでくる四文字があった。

「隊長失格」――重い十字架を背負うことになったキャリア官僚・山崎の生々しい告白だった。文書には、〝現場指揮官〟としての自らの悔恨も率直に綴られていた。

「隊長として何一つ具体的な対策を示すことができず、物的な支援もできないまま最悪の事態を迎えてしまったことは、悔やんでも悔やみきれない」

けっして美談とはなりえない自らの記録。それでもいつか公にしなければならないと思い続け、山崎は生きてきたのである。封印されてきた歴史の扉を開けるために。

新メディア「現代新書」OPEN!